高2有志による「哲学対話×ヒロシマ」「哲学対話×運動会」

高2有志・希望者が放課後に集まって、不定期で行っている「ゆるり哲学対話」。

これまで大学の先生や院生の方を学校にお呼びして、「何のために生きているのか」「学校は何のためにあるのか」「男性は女性に優しくすべきか」といった問いをめぐって、複数回対話をしてきました。
そんな「ゆるり哲学対話」が学校を飛び出して、今回は「哲学対話×ヒロシマ」と題して修学旅行先の広島で行われました。さらに翌週には、「哲学対話×運動会」と題して、他の学年もまきこんで、開成の伝統行事である運動会をめぐって対話が行われました。

●「哲学対話×ヒロシマ」(6/2・広島)
今年度の高2修学旅行の行き先は瀬戸内地方でした。設定されたコースの一つ「広島じっくりコース」では、平和記念公園や原爆ドームを訪れたのはもちろん、江波山気象館や広島城の軍管区司令部跡・大本営跡の見学、被爆体験者の方のお話や広島市立大学の先生の講義の聴講などを通して、広島の「近代」を学びました。そうした一連の行程の後、夕食前のひととき、希望者を対象に「哲学対話×ヒロシマ」が宿の一室で行われ、14名の生徒が参加してくれました。
企画者でありファシリテーターのK君から「対話」のルールが説明された後、参加者からは「碑文にある『あやまち』とは何か」「原爆についてどう扱えばよいのか」「オバマ大統領来日でヒロシマはどう変わるか」「先端技術とのつきあい方は?」などの問いの候補が出され、最終的に「どのように平和教育をしていけばよいか」という問いが選ばれました。
対話では、「そもそも平和と教育というのは結びつくのか」「平和はあらかじめそこにあって教えられるものではなく、民主主義の中で創っていくもの」「結論があらかじめ決まっている道徳教育のようなものになってはならない」「事実を教えることは大切」などの発言がありました。「教育で教え込むべきものではない」という意見に対して「そうはいっても道標としての教育は必要では」といった意見も出て、短時間ながらも、各自が深い思考に潜るひとときとなりました。

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●「哲学対話×運動会」(6/6・高校視聴覚室)
開成の伝統行事である運動会──1年をかけて学校が一丸になって準備し実現する「運動会」も、行事に対するスタンスは実は人それぞれです。開成生の精神的な成長はもちろん、思想や行動様式にも影響する「運動会」をめぐって対話が行われました。今回は、高2だけではなく、高1・高3や教職員にも参加を呼びかけ、30名の人が集まってくれました。
当日は、「運動会の目的とは」「運動会は強制参加であるべきか」「運動会の伝統とは何か」「運動会を生徒の手で運営する理由は」といった問いの候補がだされ、「運動会の成功とは何か」という問いが選ばれました。
対話では、「運動会全体の成功に向けて、個人個人が努力を重ねれば良い」「全体のためというのは全体主義的である」「成功は個人や立場によって違う」「この場合の個人とは、所属する集団のことなのか、一人一人のことなのか」といった発言があり、学年の枠をこえて、それぞれが「運動会」について思考を深める時間となりました。

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