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高校二年修学旅行

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  • 2020年度の例(八重山修学旅行中止)

     1年後への延期(2020年度高2旅行は2021年度高3旅行に延期をしました)、3泊4日への短縮、全体イベントの中止、自由参加への変更など、旅行委員会の生徒たちを中心に多くの壁を乗り越えて準備を進めてきました。2月には八重山デーと題した1日を設け、八重山の方言についての講演会と八重山高校郷土芸能部の演舞動画の鑑賞を行いました。根津の八重山そば店と交渉し、少人数に分かれて八重山そばを体験する企画も実施しました。出発10日前に事前説明会を行いましたが、その2日後から沖縄県に緊急事態宣言が発令され、沖縄県への来訪を自粛するよう知事から要請があり、また八重山地方の医療状況が非常に切迫していること、特に離島は観光に関する業務のほとんどが閉鎖されることなどを受け、日曜日ではありましたが旅行委員会の生徒たちとオンラインで協議し、代替案なども検討した結果、300人が現地に向かうのは難しいと判断いたしました。
     今回の旅行の実施については、一年延期を決めたときから生徒の間に様々な意見がありました。例えば、現地に行くことでこそ得られる学びがあるのだからぜひ行くべきだという意見がある一方、我々が八重山に行くことで医療体制が脆弱な現地に新型コロナウィルスを運ぶことになるのではないかという意見もありました。延期時期が高3の6月であるということ自体にも様々な意見があったと認識しています。こうした多様な意見がある中で、旅行委員会の生徒たちは学年アンケートを採りながら何度もミーティングを重ねてきたわけですが、旅行委員会の中でも学年全体でも、自分とは違う意見・価値観があることを認め合っている様子が伺えたことは、「修学旅行」というものを通じたひとつの成果だったと受け止めています。
     現地の民宿の方からは、「大学生になったら是非来てほしいと思っています。その時は『あの時修学旅行で来るはずだった開成高校の者です』と伝えてください」との言葉が寄せられています。八重山への旅はまだ終わっていません。

    2019年度の例

    山あいの民宿「うり坊」で迎える夕闇。低い空には、早くも本日の仕事を終えてフェードアウトしそうな星が二つ並んでいる。明るい一等星である。
    「ん?あんなとこに明るい双子星あったっけ?」名ばかり顧問とは言え、天文気象部に所属して五年、少しは星空には慣れたつもりだ。当てはまりそうな星座を、数少ない引き出しを引っ張り出して考えてみるも思い当たらず、スマホの星座アプリを起動させてみるもスマホのコンパス機能が故障しているため使えず。十分ほど悩んでいる間も、双子星は先ほどと一ミリも変わらず燦々と輝き続けている。
    「ありゃ、双子の一等星ちゃうよ。街灯の光よ。」民宿のご主人の一言で、ガラリと崩れ落ちる。露出を上げて写真を撮ってみると、うっすらと見える山の稜線の下に星(と思っていた光)が二つ。なるほど。
    ここ「うり坊」は、徳島コースの民泊組の生徒四名がお世話になっているご家庭の一軒。私たち引率団も、民泊二泊のうち一泊だけは生徒と同じご家庭に宿泊、生徒見廻りを言い訳に、某TV番組でも紹介されたという民宿のジビエ料理を堪能しにきた。
    猪鹿蝶あらため猪鹿腸。猪鍋、鹿バーグ、猪ロースステーキ、鹿ハツ、鹿ソーセージ・・・命の尊さと美味しさを学び、あまりの満腹加減から畳の上に大の字を三つ描いたのち、先述の双子星と遭遇したというわけだ。
    双子星のくだりで一悶着あったが、ご主人のお話しを伺ったり、阿波踊りの手習いを受けたりしている間に、あたりはますます黒一色に塗りつぶされ、ホンモノの星が空を覆い始めた。都会暮らしの高校生からは感動のため息が漏れる。「これが日常なんやけどなぁ」というご主人も以前は、この集落に住む自分たち自身が、自然が持つ素晴らしさに気付くどころか、田舎っぷりに辟易していた時期もあったという。
    会社員として定年間近まで勤め、退職後に民宿経営をスタートし、先祖から受け継いだ急傾斜の農地で多様な作物をつくり、ばぁちゃんから伝授された田舎暮らしの知恵で収穫物を調理・加工し、独学で猪や鹿の捌き方・調理法を磨き上げてきたそう。四人の高校二年生にとっては、田舎暮らしの体験と同時に、ご主人の人生に触れる二泊三日となったことであろう。

    離村式で阿波踊り

    やる気だけは十分

     

     

     

     

     

     

     

    満天の星空から一夜明けた快晴の徳島県東みよし町。別のご家庭にお邪魔している生徒の活動を視察するため、「うり坊」に感謝と別れを告げる。「賑やかしい」という形容詞が真っ先に頭に浮かぶグループに狙いを定め、そのご家庭の住所をカーナビにセットした。

    「道、ないですよ!」現代の科学技術を持ってしても表示できない山道の先にある一軒の家を目指し、私たち引率団は三十分ほど車に揺られた。案の定、徳島の山奥で迷子になったところで、携帯電話からご家庭にレスキュー要請を入電。「あぁ、そっちの道にいってしもたんか。今から迎えに行きますわ。」とお返事を頂き、待つこと十五分。お迎えに来て頂いた、笑顔のおじ様の軽トラに先導され、クルマ1台ギリギリの小道を走る。右手には、ずいぶんな位置エネルギーを体感できる急崖。左手には、ところどころ小規模崩落の跡も見られる急斜面。
    この先にあるはずの一軒家に収容された賑やかしいグループは、ケータイの電波も届かず、wi-fi環境下でゲームに耽ることもできず、もちろん逃げ出すことも叶わず、さぞかし大人しくしていることであろうよと、ニヤニヤしていたその瞬間のこと。
    眼前に、深く侵食された無数の谷と、それを囲む尾根。中央構造線の活発な断層運動により形成された地塁の絶景が飛び込んできた。聞きしに勝る徳島のマチュピチュ、阿讃山脈。
    開いた瞳孔が閉じないまま、「はい、着きましたよ」の声に誘導され、レンタカーを降りると、その視線の先には、いつもと変わらない賑やかしい面々。流しそうめんを堪能しているではないか。「お疲れさまでーす。センセー見廻りですか。ここは最高っすよ!」
    気を取り直して、お世話になっているご家庭のお父さん、お母さんにご挨拶を。「お世話になります。さぞかし騒がしく、ご迷惑をおかけしていることでしょう。」と、口からは定型文が出てきたが、「いやいや、みんな良い子ですよ。明るいし、お手伝いもしてくれるし。」と、やはり定型文のような返答に続き、「かき揚げや唐揚げ、それにそうめんの器も、自分たちで作ったのよ。」と微笑んでいらっしゃる。
    取り敢えず、引率団もこんな山奥まで視察に来たからには食を堪能しようと、生徒がつくったというかき揚げ、唐揚げに、竹のなかを流れてくる徳島名産半田そうめん、絶品の五穀米おにぎりを頂戴した。「先生、お茶のお代わりいかがですか」というN君の言葉に、(ここはお前んちか!?)とツッコみたくなるのを抑えている引率団の表情を読み取り、N君は「僕たち、ここで更生したんですよ」と畳み掛けてくる。
    呆れと苦笑が入り混じるなか、彼らの様子を見ていると、あながち間違いでもなさそうである。間違いではないのは、「更生した」ことではなく、お母さんのいう「みんな良い子」の方である。(みんな、良い表情してんなぁ)と思った途端、長居は無用、そそくさと御礼を申し上げてご家庭を離れることにした。

    徳島県東みよし町には、ホンモノがあった。本物の暮らし、本物の教育。私たち学校の教員には立ち入ることの出来ない領域。彼らの居るべき場所は西日暮里の校舎ではなく徳島県なのではないかと、教育者の端くれとしての矮小な自信をも失いかけたが、美味しい食べ物の記憶だけをお土産に、臆病な自尊心と尊大な羞恥心は徳島に置いてきた。
    徳島コースを選択した高校二年生たちは、それぞれのご家庭で無二の体験をしたようだ。早朝七時からの離村式のクライマックス、熱狂的な阿波踊りを見て確信を得た。徳島コースは大成功だったと。

    (あとがき)高校二年生の修学旅行では、おもに四つのコースに分かれたため、一部のコースの特殊なケースの紹介しか出来ないことをご了承願いたく思います。羽田空港到着後、それぞれのコースの引率者が、自分の引率したコースが一番充実していたと言わんばかりに(この時点で、広島空港から搭乗予定の便が欠航・大幅遅延した「しまなみコース」を除く)、真新しい旅行の思い出話に花が咲いたのを見て、旅行担当者としてはホッと胸を撫で下ろしました。
    以下、四コースの行程を簡単に記しておきます。

    六月三日(月) 三九〇名で広島平和学習、市内研修
    六月四日(火)〜七日(金) 四コースに分かれる
    ①無人島コース
    山口県周防大島の先の「ありが島」で無人島体験二泊、道後温泉一泊して松山周辺観光
    ②しまなみコース
    広島に連泊、しまなみ海道へ移動し、二日間をかけてサイクリングで完走、あるいは観光および民泊体験、最終日に大山祇神社や大久野島を見学
    ③山陰・隠岐コース
    石見銀山見学後、松江しんじ湖温泉に一泊、その後山陰コースは三朝温泉に二泊、隠岐コースは島前・島後にそれぞれ一泊し、観光やトレッキング
    ④香川・徳島コース
    倉敷見学後チャーター船で四国へ渡り、金刀比羅に一泊、その後徳島コースは民泊体験二泊、香川コースは高松市に一泊し小豆島や直島など観光、最終日に両コース合流して大塚国際美術館を見学

    以上、勇敢な旅行委員たちが一年をかけて作り上げた高二修学旅行について、簡単な紹介でした。

    広島平和記念公園

    四国三郎との格闘

    2018年度の例

    六月四日から八日までの五日間、高二学年は九州地方への修学旅行を行いました。約一年前から旅行委員の生徒たちを中心に計画を練ってきた今回の旅行は、初日から四日目の夕方まで四コースに分かれて行動し、最後は福岡に全員が集合するというものでした。四種類のコースは、長崎コース・屋久島コース・北上コース・大分コースです。初日の朝は、一部新幹線で移動する生徒・教員が東京駅に、他の生徒・教員は羽田空港に集合し、一人の欠席者もなく無事に出発しました。

    池島の炭坑内で

    1.長崎コース
    長崎コースでは、長崎空港に到着した後、軍艦島を見学する生徒と池島を見学する生徒に分かれました。現在では廃墟となっている軍艦島を見学した生徒も、人の住んでいる池島を見学した生徒も、日本の近代化の中で重要な役割を担ってきた炭鉱業の栄枯盛衰について、実感を伴う学びをしたようです。長崎コースの二日目は、終日グループごとの自由行動でした。原爆資料館はもちろん、昨年新たに橋がかかり復元作業が進む出島など、グループごとにあらかじめ作成していた行動計画に沿って生徒たちは見学していました。引率した教員のひと言「長崎は雨だった」・・・三・四日目は長崎コース内でさらにいくつかのグループに分かれました。長崎・平戸コースを選択した多くの生徒は、三日目に三菱重工業長崎造船所を見学した後、平戸市内を散策し、四日目に有田焼の本場で見学・絵付け体験をし、武雄温泉を経て夕方福岡に到着しました。特に、三菱重工業長崎造船所の見学においては、関係者である開成の卒業生の計らいで、一般の方が見ることのできない場所まで見学させていただきました。また、長崎・平戸コースを選択した一部の生徒は、三日目に「平戸キリシタン紀行」と旅行委員が銘打った特別な見学コースで学習し、四日目には平戸市内散策、名護屋城跡見学、宮島醤油見学を経て福岡に向かいました。「平戸キリシタン紀行」では春日集落の棚田の景観を眺めたり、いわゆる潜伏キリシタン関連の地を巡ってその歴史に思いを馳せたりしました。また、宮島醤油では、工場見学に加えて、宮島清一社長より、本校初代校長である高橋是清と唐津との関わり、うどんスープに見る関東と九州の違いなどのお話を聞くことができました。一方、三・四日目に長崎・雲仙コースを選択した生徒は、主に火山災害およびキリスト教文化について学びました。三日目に雲仙災害記念館、旧大野木場小学校・防災みらい館をガイドさんの説明を聞きながら見学することで、平成三年の雲仙普賢岳噴火についての詳細を学んだ後、原城址、有馬キリシタン遺産記念館を巡りました。四日目には、普賢岳トレッキングを行い、平成新山と湯島(談合島)を一望のもとに見渡すことで、前日学んだ内容を反芻しました。

    縄文杉の前で

    2.屋久島コース
    屋久島コースでは、鹿児島空港から鹿児島港を経てフェリーで屋久島に入り、初日の夕方には屋久杉自然館で見学をしました。屋久杉自然館では、翌日見ることになる縄文杉を含めた屋久島の自然について、また屋久杉伐採の歴史について学び、トレッキングへのモチベーションを高めました。二日目は、朝五時に縄文杉を目指すトレッキングを開始しました。生徒八人につきガイドさんが一名ついており、引率教員四名も含め全員が縄文杉を目指しました。当日は午後から雨が降り、登りの際にはちょろちょろ垂れていただけの水が下山のときには滝のような流れになるという自然の変化も実感しました。行程はそれなりに厳しいもので、励まし合うどころか、みな無言で歩くことになりましたが、参加者全員が目当ての縄文杉を見ることができ、一人も怪我をすることなく無事全行程を終えることができました。二日目は、トレッキングだけでなく、夜にウミガメの産卵観察会を敢行するというハードスケジュールでしたが、見ることができるかどうかわからないウミガメが浜に上がってきたうえに、産んだ卵に砂をかけようとする瞬間を間近で見ようとした生徒がウミガメに砂をかけられるという場面も見られました。三日目は、フェリーで昼ごろ鹿児島港に到着し、午後は鹿児島市内で自由行動をしました。この日は雨もなく、快適な研修となりました。四日目は、知覧特攻平和会館で講話を聴きました。講話の後に展示を見学した際には、特攻隊として飛び立った青年たちの言葉を真剣に読んでいる生徒の姿がありました。そして、午後に九州新幹線で博多へと向かいました。

    ラフティング

    3.北上コース
    北上コースとは、鹿児島から熊本を経て福岡へと、九州を北上するかたちで縦断するコースです。初日に鹿児島空港に降り立った生徒たちは、すぐに湧水町に移動し、入村式を経て民泊のために地元の各家庭に分かれていきました。民泊先でのプログラムはお世話になったご家庭によっていろいろと異なるようでしたが、地元の観光に連れていってもらったり、農作業を体験させてもらったり、夜には蛍を見たりと、それぞれのご家庭で楽しませていただいたようです。二日目の朝には離村式を行い、民泊は実質半日で終了しましたが、名残惜しそうに最後までお世話になったご家庭の方々と話をしている姿も見られました。二日目は、その後、知覧特攻平和会館での講話・見学を経て、午後は鹿児島市内での自由行動を行いました。この日はあいにくの雨で、桜島の景色などもきれいに見ることができませんでした。ただ、夕食を済ませてからホテルへ戻ることになっていたため、グループごとに事前に調査していた現地の食材をそれぞれ堪能することができたようです。三日目は、午前中の球磨川でのラフティングを経て、午後は熊本県水俣市の相思社などで水俣病関連の学習をしました。ラフティングをする場所としては国内で最も急流であるという球磨川での体験はたいへん刺激的で、体力もかなり消耗したようです。また、水俣病関連の学習では、よく知られているはずの公害病についてのステレオタイプを覆すような話の数々に、驚きを隠せない生徒の姿が見られました。四日目は、熊本空港近くのホテルエミナースで熊本地震の際の避難所開設・運営についての講演を聴いた後、熊本城を見学してから福岡へ向かいました。被災者二千人を受け入れたホテルの決断を知り、石垣の崩れている城を目の当たりにすることで、本質的な震災学習を行うことができました。

    屋形船で

    4.大分コース
    大分コースでは、一部の生徒・教員が新幹線で小倉に入り、初日の午後は小倉・門司における自由行動を行いました。そこでは日本の近代遺産に触れ、歴史の表舞台に上がった史跡などを訪ねることができました。飛行機で大分空港に到着した生徒・教員は、豊後高田で昭和の街を感じ、宇佐神宮で歴史に思いを馳せ、青の洞門で手掘りのトンネルをくぐって、別府に入りました。二日目の朝に、温泉地別府の地獄めぐりで有名な血の池地獄・竜巻地獄を見た後、小倉から電車で合流してきた新幹線組とともに、別府市の観光戦略についての講演を聴きました。「温泉地の観光」という単純な図式には収まらない裏話などに生徒は目を開かれたようでした。その後、別府市内自由行動に繰り出したのですが、あいにく雨が激しくなり、事前の行動計画を完遂できないまま戻ってきたグループもありました。それでも、入浴の時間には温泉を堪能することができました。三日目は、鯛生金山で坑道見学・砂金採りをした後、日田市の散策をしました。砂金採りでは負けず嫌いの生徒(教員も!?)が昼食の時間を削って金を探し、日田市では休館日であるにもかかわらず本校修学旅行のために開館してくれた咸宜園教育研究センターで、広瀬淡窓の教育について学びました。その夜は、屋形船の上で夕食をとりました。四日目は、大山町で農協組合長の講演を聴いた後、梅狩り体験、梅蜜作り体験をし、秋月を散策してから福岡へと向かいました。講演では、山中の農村がいかにして豊かな生活と文化を手に入れたかを知り、都会の生徒たちが興味をもって質問する様子が見られました。また、豊後高田で昭和の街、別府で温泉街、日田で天領の町並みを見てきた生徒は、秋月で中世を感じさせる町並みに触れることで、大分コースのテーマの一つである町並み・町づくりの比較・探究を深めました。

    5.最終日
    四日目の夕方、福岡のホテルに学年全員が集合して豪勢な夕食に舌鼓を打ちつつ、それぞれのコースの情報を伝え合いました。五日目は、クラスごとに大宰府天満宮での参拝をした後、自由行動で福岡各地の名所を訪れました。そして、一部の生徒・教員は博多駅から新幹線で、他の生徒・教員は福岡空港から飛行機で東京へと向かいました。

    足湯でミーティングする旅行委員

    この旅行の形がまとまるまでには、紆余曲折がありました。大きかったのは、屋久島コース実施の決定です。場合によっては台風が来るかもしれない時期に離島に渡るコースを設定するというのは、フェリーが欠航したときには旅行のメインになるテーマがなくなってしまうというリスクを負うことになります。教員が旅行委員にその点を考えてもらった結果、彼らが選択したのは学年の生徒全員へのアンケートでした。屋久島コースを実施するのにはリスクを伴うということ、フェリー乗船の他にトレッキングの装備などにもお金が相当かかるということ。これらを伝え、保護者とも相談してもらったうえでとったアンケートの結果は、学年の生徒四百人中百人近くが屋久島コースを選択するというものでした。これだけの生徒が選択するコースを廃止するわけにはいかないという旅行委員の決断により、我々教員も腹をくくりました。このような検討を経て意識の高い生徒に集まってもらうことができたからこそ、雨の降る過酷な条件下でも怪我をする者なくトレッキングを終わらせることができたのでしょう。そして、屋久島でしか見ることのできない植生を見ることも含め、現地の空気を感じてくるという意味において、書籍などでは得られない体験が充実した形でできた最も旅行らしいコースだったといえるでしょう。

    他のコースでも、コース内のプログラム作りで旅行委員が活躍しました。長崎コースは三・四日目に長崎・平戸コースと長崎・雲仙コースに分かれたのですが、実は長崎・平戸コース内でさらにバス三台がそれぞれ別行動をするという細分化を見せました。教員側は引率が手薄になることを心配したのですが、旅行会社がバスの配置をうまく調整してくれてリスクが回避されたこともあり、旅行委員の熱意に押し切られました。北上コースは、知覧での戦争・平和学習、水俣での公害学習、熊本での震災学習という、重いテーマが続くストイックなコースとなりました。しかし、民泊やラフティングを交えてこのコースを作り上げたコースチーフの熱意が、生徒たちに実りある学習と多くの思い出を残してくれたと思います。大分コースも初日は飛行機と新幹線に分かれ、新幹線コースを選択した生徒は五日間で三種類の自由行動をすることになりました。それらすべての行動計画の提出を促し、内容をチェックしたのも旅行委員でした。また、修学旅行でこれまで訪れたことがほとんどないと思われる大山町などをプログラムに組み込み、我々教員も楽しめるコースにしてくれました。

    昨年度高一学年として旅行に取り組んだ際にも、旅行委員の活躍を頼もしく感じていたことは事実です。ただ、この高二修学旅行では、旅行委員の底力をまざまざと見せつけられたという表現が適切でしょう。彼ら旅行委員の活躍があり、また彼らの奮闘を感じた周囲の生徒たちの信頼があってこそ、三九九名もの生徒が欠席する者もなく、誰一人一つのプログラムも離脱することなく、旅行を終えられたのだと思います。この結果こそが、現高二学年の旅行の集大成といえるでしょう。

    2017年度の例

    今年は6月5日から4泊5日で、中国・四国地方へ5コースに分かれて修学旅行を実施しました。

    1.祖谷コース
    ホテルかずら橋の豆腐はきめが粗くそして硬い。山中を持ち歩くのに型崩れしないよう、源平の時代から続く土地の調理法だそうだ。慣れない串刺しの豆腐にかぶりつきつつ、我々は夕食の席で若女将のもてなしに耳を傾けた。「祖谷のかずら橋や 蜘蛛の巣のごとく 風も吹かんのに ゆらゆらと 吹かんのに 吹かんのに 風も 風も吹かんのに ゆらゆらと」 一千年の時を刻んだ、この風もなく揺れる橋の唄。夜なべ仕事の女らの口から産まれたそうだ。単調な作業を繰り返すうち、落人伝説の残る谷間に平家の夢でも見たのだろうか。臼の中にひかれゆく穀物に、揺れ動く己の心を重ねたのだろうか。山の営みに見栄は不要である。食物・歌謡の文化一切を質朴の串が貫く。正座も表情も終始崩さず、若女将は哀切極まる調子で唄い上げた。「秘境」と呼ばれるこの谷にも現代の風は吹いている。女中には台湾や中国の留学生が混じり、私には解し得ない言葉で他の客に応対している。民泊体験の翌朝には受け入れ先のご婦人が、「〇〇くん、イケメンだわー。帰したくないー。」と腕にしがみつく。それでも閉村式で感想を述べた生徒代表は、この土地に根付く何か特別なものを感じとったようである。「僕たちは山間の生活を体験するつもりでここへ来ました。でも今思えば、それは祖谷の暮らしそのものだったように思います。」その後今治、松山と少しずつ「現代」へ歩を進めたが、東京できめの細かく柔らかい豆腐を口にした時、我々は旅の終わりとそれがまだ続いていることをひとたびに実感したように思う。

     

     

     

     

    2.無人島コース
    無人島コースは自然を満喫するコースでした。まずは高知空港から龍河洞へ。中は寒いくらい涼しく、生徒たちは鍾乳石や石筍といった壮大な自然の造形を堪能したようすでした。食事をして足摺岬へと向かいました。足摺岬は四国の最南端、地の果てといった感じです。展望台から見える柱状節理のはいった花こう岩の岩肌、真っ白な灯台と黒潮の海の青さに生徒たちは歓声をあげていました。その夜は星空観察、月夜でしたがおもだった星はよく見えました。二日目は滑床渓谷でキャニオニング。まだ冷たい川のなかをザブザブ入ってさかのぼったり下ったり、飛び込んだりと遊びました。夜は道後温泉を満喫しました。三日目はいよいよ無人島ですが、雨だったのでカヤックで行くのはやめて船で渡り、着いてからカヤックでとなりの島のまわりを一周しました。夕食はBBQですが、魚を釣る班、磯で貝やカメノテなどをとる班、火をおこして飯ごうでごはんを炊く班に分かれ、最後はみんなで美味しくいただきました。四日目は晴れてカヤックで島から戻り、シャワーを浴びてから学年全員が集合する今治へ向かいました。無人島の夜はテントに寝袋で、電気もガスもTVやスマホもない生活はいい経験になったことでしょう。

     

     

     

     

    3.しまなみコース
    しまなみコースは瀬戸内海の美しさと、その変化を楽しむコースでした。全体の行程としては、初日は常石造船で造船業のスケールを体感し、二日目は文化都市尾道で散策の後、しまなみ海道の一部を自転車で試走。そして三日目が自転車走行の本番で、長い距離を走るメンバーは本州の尾道から四国の今治までおよそ80キロメートルを走破。四日目は船で潮流体験をした後、四国沿岸の来島や小島に上陸し、夕方に他のコースと合流、という内容でした。自転車走行の本番だった三日目だけが生憎の雨で、本来なら橋上から見える瀬戸内海の島々が霞んでほとんど見えずじまいでした。翌日に同じ所をバスで通った際、「ほんとはこんな景色だったのかー」と声が上がるのが聞こえたときは、運が悪くて残念だったという思いも去来しました。ただ、今治での自転車のゴールを出迎えた際、「きつかったけど楽しかったっす」とみんなが笑顔で口々に言っていたことを思い返すと、そんな感想は的はずれだったのだと考えなおしました。造船所の巨大艦船が浮かぶ所から始まり、尾道の高台からの眺め、自転車から見えた真っ白な世界、最終日の景色と、瀬戸内海のさまざまな顔を見ることができた旅行でした。

     

     

     

     

    4.山陰よくばりコース
    山陰コースはその名に羞じない盛りだくさんのコースでした。初日は砂丘でのサンドボード・パラグライダー。一方遊覧船で海から砂丘を眺める班も。疲れた体も三朝温泉のお湯につかれば元気そのもの。川辺の散策では自然の中で初めて蛍を見た者もいたようだ。翌日は日本一危険な国宝、三佛寺投入堂への参拝(登山?)と鳥取地震で被害を受けた倉吉の散策。「さんげさんげ六根清浄」のかけ声勇ましく登り切ったときの景色の爽快なこと。午後からは廃藩置県以来一度も合併していない村、新庄村へ。生徒三十五名は民泊し、各家庭で農業体験を行った。他の生徒は地元中学生と一緒に新庄村の魅力を伝えるキャッチコピーを考案した。「餅つき Yummyつき おい新庄」 名物の「ひめの餅」がおいしいことを掛けたものだが、個人的に気に入った。後ろ髪を引かれる思いで新庄村を後にし、足立美術館と出雲大社を見学、玉造温泉へ。山陰最後のイベントは「大しめ縄作り」である。出雲大社のしめ縄を作成した工房で二メートルもある大しめ縄を作成した。もうすぐ学校に届くが、縁結びで有名な出雲大社と同じしめ縄、きっと生徒の受験にも出会いにも御利益があることだろう。

     

     

     

     

    5.山陽コース
    このコースの主な地名を羅列すると、「徳島」→「高松」→「岡山」→「広島」→「三段峡」→「安芸の宮島」→「弥山」→「今治」 ※「弥山」って読めます?やはりこの学年、中一から続く「山学年」ですね。強いて言えば二日目だけは登山ぽい行程はなかったですが、毎日二、三時間は歩くコースです。一日目は四国八十八ヶ所一番寺から四番寺までの10km近くを歩き、三日目は広島の北にある三段峡を一時間強歩き、四日目は安芸の宮島の「弥山」を歩きました。もう歩くのはないであろうと思っていた四日目の「弥山」は予想外だったので、最後の方は這々の体でした。『島全体が神聖』と言われる安芸の宮島で登山をするとはね。ロープウェイを乗り継いだのに、まだこんなに歩くとは。だからこのコース、僕が担当になったのか、もう僕も若くないのに。ふぅーっ。このコースをあと説明するとすれば、三日目の三段峡、雨のため急遽、歩きを少なくして『苔玉』というものを作ったこと、そしてその夜の「菊乃屋」です。厳島神社のこんな近くで宿泊できるなんて、これは幸せでした。夜の自由散策もなかなか粋な感じでした。雨で靴がビショビショだったにも関わらず、皆夜の宮島を散策しました。(ただし、このコースの半分ほどの生徒は広島に連泊で宮島に泊まってません。ゴメンなさいね。)宮島を後にするときは、さんざん迷った挙げ句、「もみじ饅頭」をかってしまいました。人並になってしまったなぁ。でも「チーズ味」は美味かった。

     

     

     

     

    6.最終日
    四日目は山陰・山陽・四国の各コースから今治に集結した。ホテルでは夕食後にパフォーマンス大会を開催。各コース旅行委員が買い集めたお土産のプレゼント、ヲタ芸、ジャグリング、ピアノ演奏など、普段触れることのない友人のすご技を楽しんだ。夜は四日間の疲れを感じさせることもなく、最後の修学旅行を満喫していたようだ。早朝、近所の公園にいた生徒は、きっと早起きをして散歩していたのだろう。最終日は全員で松山周辺の自由散策をした。街中で「俳句ポスト」をあちこちで目にしたが、一句捻って思い出としたものもいたようだ。途中参加や怪我、発熱による帰京などもあり、また三日目は各コースで雨にたたられもしたが、地元の方々とのふれあいに溢れた、思い出深い旅行となった。旅行先の選定から約一年をかけて準備をし、旅行を作り上げてきた旅行委員だが、今年度は五一名と大所帯であった。委員長の井上君を初め、コースチーフや庶務の生徒たちは本当によくやってくれた。心から称えたいと思う。

    ・2017/07/04 高2修学旅行

    2016年度の例

    五月三十日より六月三日まで、高二学年は瀬戸内方面への修学旅行を実施した。東京では雨が降っていたが、新幹線・飛行機で現地に着いてみると、初夏の爽やかな晴天が、私たちを迎えてくれ、それは全日に及んだ。旅行委員会が一年かけて作り上げてきた努力に、まずは天気が応えてくれた。

    さて、本旅行は、最初の四日間を六つのコースにわかれて過ごし、四日目の夕方に神戸に集結した。そして最終日は神戸市内を班別で自主研修を行い、帰宅するというものであった。以下、各コースの概略を述べてみたい。

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    瑠璃光寺五重塔をバックに

    まず、東京から最も遠い山口コースは五〇名の参加であった。初日に飛行機で宇部空港に向い、国宝である瑠璃光寺五重塔を見学した後、秋芳洞・景清洞を探検した。二日目は世界遺産となった萩市内をレンタサイクルで散策し、午後は萩焼の手びねり体験や反射炉見学を行った。三日目は下関に移動して、唐戸市場を見学してふぐ料理の体験、そこから人道を渡って九州に上陸し、門司周辺を歩いて船で下関に戻る。四日目は八幡製鉄所を全員で見学をした後、二班に分かれてトヨタ自動車九州宮田工場と、安川電機みらい館で工場見学を行った。四月に起きた熊本地震の影響で、直前まで工場が操業を中止していたが、無事に見学することができた。

    次に、九五名が参加したしまなみコースは、飛行機で広島空港に到着すると、バスとフェリーを利用して、大久野島に渡った。この島は太平洋戦争中に毒ガス工場が置かれ、地図から消された島としても知られている。現在は野生のウサギが数多く生息しており、毒ガス工場や芸予要塞の廃墟を散策しながらウサギと戯れる生徒たちが印象的であった。

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    尾道に向かうサイクリングで小休止

    二日目は大三島に船で渡り、大山祇神社を訪れた後、村上水軍博物館で学芸員から村上海賊やその拠点である能島に関する話を伺い、実際に能島への上陸やクルージングを楽しんだ。午後は班ごとに大島をサイクリングで半周し(約二〇㎞)、今治で宿泊した。三日目は小島・来島の二島に渡り、来島村上氏や芸予要塞の残る小島を見学し、初日の学習との関連づけを行った。そして四日目は、しまなみ海道を走破するコース(約七〇㎞)、大三島まで船で行き、そこから尾道を目指すコース(約五〇㎞)、因島まで船で行き、同じく尾道を目指すコース(約三〇㎞)にわかれ、ゴールを目指した。非常に穏やかな日差しの中で、輝く海と眩しい山の中を颯爽とサイクリングを行い、全員が完走を果たした。

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    巨大な貨物船にシーカヤックで挑む

    無人島コース(五〇名)・民泊コース(五〇名)・広島じっくりコース(五〇名)の三コースは、新幹線で広島駅まで行き、平和資料館や原爆ドームをはじめとする広島市内を見学した後、それぞれの活動にわかれた。無人島コースは初日のうちに福山市沼隈町にあるツネイシしまなみビレッジを拠点として、翌日から同市内海町(田島と横島の二島からなる)においてシーカヤック体験を二日間行い、約二〇㎞を漕ぎきった。途中、常石造船に渡り、全長二二九メートル、深さ(高さ)二〇メートル規模の貨物船に触れてくるという、他ではまずできない経験をした。間近に迫ることにより、これらの船がいかに巨大であるかということを改めて確認することができた。宿舎には良質なサッカーグラウンドがあり、宿に戻ると生徒たちはサッカーに興じた。四日目には船釣り体験を行い、地元の方々にご指導をいただきながら、釣った魚を捌いて食すなどの交流を楽しんだ。

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    漁師になりきっています

    民泊コースでは、初日を広島市で過ごした後、二日目は柳田邦男著『空白の天気図』の舞台となっている江波山気象館を訪問し、福山市内海町で民泊を行った。同町で初めて民泊を受け入れる学校ということで、複数の新聞やテレビに取り上げられた。海とともに生きる方々のありのままの姿がみたいというこちらの要望に応えて頂き、二日間の民泊で、底引き網漁と定置網漁を体験させていただいた。海から引き揚げられた生きの良い魚を生簀に入れるのだが、慣れない手つきで苦労していた。一方で、中には非常に手際よく作業をし、漁師にスカウトされるような生徒もいた。二日間の交流を終え、離島式では名残惜しさを感じるほど、親密な関係を築くことができた。その後、再び広島市に戻って班別自主研修を行った。

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    呉にて海上自衛隊護衛艦の「いせ」を背景に

    広島じっくりコースは、戦争や原爆、広島の復興や平和についてより深く考えてみようという趣旨で作られた。初日は広島城公園を訪れ、ガイドさんの案内を聞きながら付近を歩き、平和記念公園・資料館を見学した。夜には被爆者に講話をしていただいた。近い将来、被爆者から直接お話を伺うことがますます難しくなるであろうことを考えれば、このタイミングで拝聴できたことは大変貴重であった。翌日は午前中に江波山気象館や広島市内の散策を行い、午後には核軍縮や国際政治論がご専門の水本和実広島市立大学教授の講義を聴講した。質疑応答では生徒から多くの意見が出され、活発な議論が行われた。三日目は呉方面に移動して、海上自衛隊第一術科学校を訪問し、掃海艇にも乗船する機会を得た。翌日には厳島神社の見学や、もみじ饅頭づくり体験などを行った。

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    ラフティングを楽しむ生徒たち

    最後の四国コースは、飛行機を利用して高松空港に向かい、さらに高松港から班ごとに小豆島・直島・豊島・男木島・本島へと渡島し、その島の魅力を引き出すコマーシャルを制作する課題に取り組んだ。魅力を引き出すためにはその島のことを知る必要があり、生徒は海岸沿いを歩いたり、山の中に分け入ったりして絶景を探し、さらには地元の方とのコミュニケーションをとるなどして、今この瞬間の島の様子を動画に収めた。夜には上映会を行い、その反省を受けて二日目も島のコマーシャルを制作した。島での過ごし方にも慣れ、また撮影技術なども格段に上達し、その日の夜はより充実した上映会になった。三日目は大歩危・小歩危でのラフティングを楽しんだ。流れが厳しいところも少なくなかったが、スリル満点のアクティビティであった。四日目は琴平をスタートして班別で高松まで向かい、そこから鳴門の渦潮の見学を経て、バスで神戸まで向かった。

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    四〇〇人が集結し、委員長の安藤勇哉君の挨拶

    各コースで得難い経験をした後、四百人が神戸に集結した。大会場に全員が集まり、旅行委員長の安藤勇哉君の一言で夕食が始まった。六人のコースチーフが話す成果に耳を傾けながら、隣に座るクラスメートに互いのコースで経験したことを語り合っていた。さらにはそこで「開成タレントショー」なるイベントを開催した。課外活動で活躍している生徒数名に声をかけ、その内容について語ってもらったり、実際に披露してもらったりした。サッカー部が全国二位の高校と試合をしたことを通じて何を学んだかという発表、アメリカで六〇〇〇チームが集まる著名なロボットコンテスト(FRC)に参加するため、資金を提供してくれるスポンサー企業を探すところから活動している生徒の話、国際数学オリンピックメダリストの話、アメリカ大使館に招かれて手品を披露したK.A.M.C部員の実演、パフォーマーを夢見て、現在も都内で活躍している生徒の生ダンスなど、非常に見ごたえ・聞きごたえのある内容であった。このような、普段の学校生活では見られない友達の一面に接することで、聴衆となっていた生徒たちは大きな刺激を受けたのではないだろうか。溢れる思いの分だけ時間も超過してしまったが、大変有意義な時間を過ごすことができた。何より喜ばしいことは、学年の生徒全員が参加し、そして無事に帰ってきたことである。

    旅行が終わり、生徒との面談や保護者会などを通じて、旅行の満足度が大変高かった印象を受ける。他のコースにしておけば良かったという声は聞かれず、自分の参加したコースが一番充実していたと感じてくれているようである。どのコースを選んでも、絶対に後悔させない・楽しんでもらえるものを作ろうという意気込みで取り組んだ旅行委員会の努力の成果である。

    旅行の行き先が決まった当初は、「瀬戸内なんかに行って何があるの?」と言った声も聞こえていたが、五日間の旅行を経て、この地域に対する見方が大きく変わったのではないだろか。生徒たちにとって、この旅行で感得したことを、この先の人生で思い出すような時があれば、担当者としてこれほど嬉しいことはない。そして最後に、この五日間、晴れて本当に良かった。

    2015年度の例

    今年の高二は、四泊五日で北海道に行ってきました。旅行の前半は、五つのコースに分かれて動きました。道南の主な観光地を班行動や見学で訪ねた「函館コース」、島を挙げての温かい歓迎を受け、海の幸を満喫した「奥尻コース」、農家に宿泊し農牧業を体験した「十勝コース」、ウトロ周辺で動植物に関する深いフィールドワークを行った「知床コース」、屈斜路湖周辺で野外のアクティビティを満喫した「川湯コース」。四日目の夕方に、全コースが札幌の定山渓温泉に集結し、クラスごとの部屋割りになりました。再会したクラスの仲間に、どのコースの生徒も「絶対に自分のコースが一番楽しかった!」と主張しているのを見て、旅行委員の生徒たちが苦労を重ねて作り上げてきた成果を実感し、嬉しくなりました。

    最終日の朝は例年、何十人も寝坊して朝食に揃わない、というお話を、卒業生を出した先生から伺いました。どうしたら良いだろうかと、ロビーで旅行委員と話し合い、クラス対抗で全員揃ったクラスから「いただきます」をするという案が出ました。翌朝、設定された朝食開始は七時。その五分前にはほとんどのクラスが全員揃って食べ始めていて、最後のクラスが「いただきます」をしたのが七時三分でした。旅行委員のリーダーシップと、それに応えた生徒たちの力が伝わってきた、ちょっと感動的な光景でした。

    開成の生徒に不足している最大のものは生活力だと、常々思っていました。しかしそれは「やってもできない」のではなく「やらないからできない」、つまり経験不足からくるものです。今回の修学旅行で生徒たちは、学校での生活ではできない、さまざまな経験を積むことができました。彼らの成長を間近で感じることができた五日間でした。この経験と成長が、秋以降の文化祭や運動会、そしてこれからの彼らの長い人生に活かされていくことを期待しています。

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    奥尻コース参加者は、イカを捌けるようになりました。

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    十勝コースの農作業体験。トウモロコシの苗の植え付けですね。

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    屈斜路湖で、カヌーに挑戦。二人の息はぴったり?

    2014年度の例

    高2学年は、去る6月2日から6日までの4泊5日で、北海道方面へ修学旅行に行ってきました。

    はじめの3泊は

    • 川湯でのアクティビティ、釧路、知床などを回る道東Aコース
    • 知床地方にどっぷりつかる道東Bコース
    • 宗谷岬、礼文島のトレッキングをメインとする道北コース
    • 2泊のホームステイと日高でのアクティビティを行う道央コース
    • 函館、洞爺湖、小樽・札幌を巡る道南コース

    の5つのコースに分かれ、最終泊では全コースが札幌に集結するという流れで行われました。

    旅行期間中は最終日の曇天模様を除けば非常に天候に恵まれました。余りにも恵まれすぎて、川湯や旭川では最高気温35度を記録したことに代表されるほどの暑さに見舞われました。それでも、晴れた空の下で各コースの活動が行えたことは、何よりでした。

    今回の旅行は、生徒たちにとって開成生活最後の集団旅行でもありました。この5日間のために行き先決定に始まり、一年間かけて旅行委員の生徒達を中心に準備を進めてきました。時には教員や旅行会社の方との激論になったり、行き先が変更になったり、大変なことも多々ありました。そんな事も、生徒達が旅行を楽しんでいる姿を見られたことで吹き飛んでしまいました。

    生徒達にとって、今回の旅行が良い思い出となってくれれば、これ程嬉しいことはありません。

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