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学園のあらまし

開成学園は、明治 4(1871)年、幕末の進歩的な知識人であった佐野かなえ先生によって創立されました。先生は、欧米の教育事情を視察した折に、わが国にも欧米なみの学校が必要であると強く感じ、帰国後、創立を決意されました。校名は「共立学校」と名づけられました。

佐野先生が若くして亡くなられたあと、初代校長として高橋是清先生が就任され、今日の学園の基礎を築かれました。先生は、生徒と教師に対して、次のような講話をされました。

学問の目的とするところは自分自身に固有の能力を進歩させることであり、小さいところで言えば、我が身、我が家の利益、大きいところで言えば、社会の利益を興そうとするところにあります。つまり、世の中において利益をもたらし、幸福をもたらすものは、皆、学問です。世の中のことをよく注意・観察するときは、どの事物も、学問とならないものはありません。この点をなおざりにすると、どんな学校に在籍して、どんな立派な大学者についても、どんな多くの書物を読みあさっても、学問にはほど遠いものになるでしょう。学問の成否は、この注意・観察がどの程度であるかによります。そうして、この注意・観察は、教える人に属するのではなくて、もっぱら学ぶ人に属するのです。自分で工夫するとか案出するとかいうことは、わずらわしいものです。しかし、まねにばかり熱を入れていては、ついに事物について推論・思考をしなくなるという害があります。

学問するためには、記憶力と思考力とは両方とも欠くことのできない要素であり、記憶力というものは思考力を養うための土台です。例えば、事物の是非得失をよく考えないで、ひたすら前例に従うばかりで、その結果がどうであるかについて本人が関わりないなどというのは、結局のところ、記憶力と同時に思考力を育成しなかったことの結果というべきです。そもそも思考力を用いるときは、おのおのの事物について、一つ一つ推論・探求することができ、事物の道理を解明することが可能になるのです。これまでだれも発見していなかった理論を発見することさえ可能です。このようなことから考えると、学問は思考力を用いるのが最も貴い、ということになります。

学園は、高橋先生のこの理念を教育方針の柱として受け継いできました。明治 28(1895)年に、それまでの校名「共立学校」を「東京開成中学校」に変えました。これは中国の古い書物『易経』の中にある「開物成務」に由来し、「人間性を開拓啓発し、人としての務めを成す」という意味です。 また、「ペンケン」の校章は、有名な格言「ペンは剣よりも強し」を図案化したもので、いずれも学園の校風を象徴するものです。

開成のはじめて年表
明治4年(1871) 佐野鼎先生「共立学校」創立
11年(1878) 高橋是清先生 初代校長に就任
18年(1885) はじめて「ペンケン」の校章をつける
19年(1886) 飛鳥山ではじめての大運動会
21年(1888) 端艇会(ボート部)を創立 部活動のはじまり
28年(1895) 校名を「開成」と改める はじめての修学旅行を行う 初代校旗完成
33年(1900) はじめての合宿(水泳部)を行う
39年(1906) はじめての遠距離徒歩競争を行う(現在の開成マラソンのはじまり)
大正9年(1920) 東京高等師範付属中学(現、筑波大学附属高等学校)とのボートレースが始まる
13年(1924) 学園は神田淡路町から西日暮里(現在地)に移る
昭和10年(1935) 「校歌」が制定される
23年(1948) 開成高等学校が発足する
34年(1959) 高校生徒会が発足する(中学生徒会は翌35年に発足)
35年(1960) 高校からの公募を始める はじめてのスキー学校が開かれる
生徒数
中学校 生徒定員・・・900
学級数・・・21
高等学校 生徒定員・・・1,200
学級数・・・24