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高校一年学年旅行

2020年度の例

「まず、明日の注意事項の説明に先立ち、一言お礼を言いたいと思います。今回の学年旅行は、もうできないのではないかと半分あきらめかけていましたが、このように、形は変わっても学年旅行の機会が確保されたのは、先生方、旅行業者の方々のおかげだと思っています。有難うございました。」いつもの、独特のユーモアで前日説明会を盛り上がらせる旅行委員長の言葉とは異なるこの温かな言葉に、初めての実力考査直後でいささか疲れの表情を見せていた生徒たちの集まる会場は、一気に柔らかな空気に包まれた。二度にわたる延期、さらに一泊二日から日帰りへの苦渋の変更を強いられながらも、何とか、群馬県水上方面への高一学年旅行が実施へとこぎつけた。

 実施までの旅行委員会の生徒たちの準備に、いくつか特筆すべきことがある。まずは初めて動画による事前学習を実現させたことを挙げたい。これは、新校舎建築に伴って学年全体が集まれる場所が少ない状況で各教室でクラスごとに聞くことになっても、何とか従来のプレゼンテーションの形式に近い形で事前学習を行えないか、という考えから試みられたことだったが、限られた時間の中で生徒たちが力を合わせ、実に見事に充実した動画を作り上げることに成功した。対面授業が再開する前に、その動画をネット上で共有することで、高校から入学した生徒たちも難なく事前学習を行えたことは、幸いであった。もう一つ、対面授業がない期間も、オンラインで旅行委員会を開き続けたことも挙げておきたい。新年度になってから高校からの生徒たちも委員に加え、新しい委員会で着実に話し合いを進めていたことは本当に頼もしかった。あの話し合いなしに、今回の旅行の実現はあり得なかった。

 さて、実際の行程の一部を報告したい。密集状態を避けるために、現地集合の場所をコース別に高﨑駅、上毛高原駅、軽井沢駅の三か所に分け、さらにバスの台数も当初計画していた数の倍にしての出発。各コース共通の学習テーマは「明治から昭和にかけての近代日本の養蚕業および製糸業」とし、全コースが世界遺産である富岡製糸場の見学を含んだ形で、四つのコースに分かれた。「利根川ラフティング体験コース」、「奈良俣湖カヌー体験コース」、「一の倉沢ハイキングコース」、「碓氷峠アプトの道散策コース」。好天に恵まれ、すべてのコースで予定の行程をこなすことができた。
 私の引率したラフティングコースでは、集合してまず富岡製糸場を訪れた。現在も当時とほぼ変わらぬ状態で残されている建造物の数々を前に、生徒たちは明治期に思いをはせながらガイドの方の説明に熱心に耳を傾けていた。その後、ラフティングを行う利根川に移動して、ほとりで川の流れを見ながらの昼食。おにぎり二つと唐揚げというシンプルなお弁当が、ことのほかおいしく感じられたようである。
 午後になり、小グループに分かれて現地のインストラクター指導の下、次々に川を下って行った。時期的に水量が少なめとあって、ほぼすべてのグループが、ゴール直前で川に飛び込み、川の水のゆっくりとした流れに身体をあずけ、心からの開放感を味わった。閉塞的な生活を強いられ続けてきたからこそのことがあったであろう、ゴール地点で川から上がってきた生徒たちが見せる笑顔が、大げさでなく、輝いていた。
 冷えた身体を少し温めるために、最後に用意されていたのは、当初宿泊する予定であった宿、水上館での入浴。大人数がスムーズに流れるように短時間で、というこちらの指示にもかかわらず、温泉を予定よりも長く満喫した生徒が続出したのは、心情的には理解できたが、脱衣所で誘導をする教員たちには、長時間の熱気はいやはや、なかなかこたえるものであった。その後、上毛高原駅まで行き、現地解散。解散場所もコース別に分けた。

 その他のコースでも各引率教員から同様に、生徒たちが久しぶりに「日常」を忘れ、自然の中で生き生きしていた様子の報告を受けた。この旅行の実現にお力添え下さったすべての皆様に、この場を借りて心より感謝申し上げたい。
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「こんな楽しい旅行ならば、月に二回は行きたい。」高校から入学したある生徒は、帰宅して開口一番、こう言ったそうである。旅行を終えてしばらく経った頃に保護者が教えてくださった。入学してようやく体験できた初めての学校行事が、よほど楽しかったのだろう。

2019年度の例

結果的にわかったことだが、この会津旅行には県などからかなりの助成金が交付される。また今回の旅行で生徒諸君も感じたであろうが、大内宿や鶴ヶ城・飯盛山といった観光スポットに、日本人観光客はそれなりにいたのに、外国人は皆無に近い状態だった。震災後のFUKUSHIMAが国際社会でどう認知されているか?行政がそれにどう対応しようとしているのか?修学旅行で生徒に求められるのは“批判的視点”である。この福島県の旅行はそれ自体が大きな社会問題の渦中に置かれていたことを実感してほしい。

その他、この“批判的視点”で特筆しておきたい今回のポイントを3点あげておきたい。

①野口英世記念館   震災後にリニューアルされ,現在猪苗代地域観光の目玉となっている。展示も旧館に比べて格段に充実し、加えて衝撃的だったのが、館長さんが開成に来校されての“出前授業”(交通費等一切かからない)であった。拝聴した教員全員が大感激するほどの充実した内容で、予定の1時間があっという間に過ぎてしまった。「文科省推薦」的な〝偉人伝〟の英世像と全く異なる、病理学の専門家による学術に徹した説明は本当に新鮮だった。ただ中間考査期間中ということもあって参加生徒が少なかったのは残念。事前の宣伝活動をもっとしっかりやっておきたかった。少なくとも将来医学部系を目指そうという生徒には是非聞いてほしい内容だった。

②噴火記念館と裏磐梯銅池への登山  明治における磐梯山の山体崩壊は近代火山災害史上最大の被害者を出した。五色沼などの名勝が、この大災害の副産物だったことを忘れてはならない。である以上、山体崩壊を引き起こした火山活動がどのようなものだったかを理解し実感することは、今回の旅行の重要な要素であろう。この点で今回実現した銅池探訪の企画が好天のもと無事に実施できたのは大変嬉しい。「ブラタモリ」にも出演されていた噴火記念館の館長さんの事前講義と案内で本当に充実した地学の実習ができたと思う。

③喜多方市の長床 喜多方コースは人数が130名以上と多く、ラーメン食べ歩きと古代文字ラリーを内容とするが、この喜多方市の打ち出している町おこしキャンペーンにそのまま乗っかるのではなく、生徒にはもっと批判的でさめた眼で見てほしいと思う。果たしてラーメンだけでよいのいか?そこで急遽、帰りがけに市中心部から車でわずか10分で行ける新熊野神社に立ち寄るよう計画を少し修正させてもらった。修験道特有の〝長床〟の古建築が喜多方市を代表する貴重な文化財であることは勿論だが、明治維新時の神仏分離・廃仏毀釈・修験道禁止で大打撃を受けた文化財がいかにして今日まで地元民の力で守られてきたか、文化遺産の存在意義を考える上で非常に貴重な事例である。

そのほか言及すべき点は多々あろうが、旅委のメンバーには、今回の成果と反省をもとに、来年の4泊5日の旅行をしっかり企画・実施していってほしい。

2018年度の例

 今年の高一学年は、一泊二日で伊豆方面に旅行に行ってまいりました。旅行初日の六月七日(木)は、東海地方の梅雨入り報道の日の翌日でしたが、現地に到着した頃には天気は回復しており、生徒たちは予定通りの行程で体験や活動を行うことができました。
今回の旅行では、生徒たちの意向により、一日目が六コース、二日目が七コース、合計十三コースというかなり多い数の体験コースを設定することになりました。今年度の初めに行き先コースの希望調査を行いましたが、いずれも旅行委員の熱い思いが込められた特徴のあるコースで、選ぶ側の生徒たちはどのコースで希望を出すか、かなり迷っている様子が窺えました。
一日目の行き先とコース内容は次の通りです。
●一日目(六コース)

城ヶ崎ハイキング

①湘南コース…SUP(スタンドアップ・パドルボード)またはウィンドサーフィン→鶴岡八幡宮→鎌倉散策/②熱海定番コース…来宮神社→アカオハーブ&ローズガーデン→熱海城/③伊豆高原コース…城ヶ崎ハイキング→シャボテン公園または大室山/④箱根名所コース…早雲山→大涌谷→芦ノ湖遊覧船→箱根関所/⑤小田原・西湘コース…鈴廣かまぼこ博物館→かまぼこ・ちくわ作り体験→小田原城→万葉公園/⑥真鶴・三島コース…岩海岸・大ヶ窪海岸→真鶴遊覧船→貴船神社→柿田川公園または三島大社→三島スカイウォーク

 宿泊先は熱海の「ホテルニューアカオ」でした。熱海の岬に聳え立つホテルで、部屋の窓からは太平洋や熱海の街並みが一望でき、研究旅行の宿としては勿体ないくらいの立派なホテルでした。
夕食後、ホテルの十五階で自由参加型の「超人狼」というイベントを行いました。発案した旅行委員の生徒によると、通常「人狼」というゲームは、少なくて三名、多くても二十名程度で行われる心理ゲームらしいのですが、今回のイベントでは百数十名もの生徒が参加しました。生徒たちにとってもこのような大人数での「人狼」は初めての経験であったらしく、学内における事前のテストプレイ実施の甲斐もあり、イベントは大変盛況のうちに終えることができました。ただ、イベント会場のフロアのすぐ下の十四階が客室でしたので、教員としては、生徒たちの大声や、ひょっとしたら足音のせいで宿泊客の方から苦情が来てしまうのではないかと、実は戦々恐々としておりました。イベント終了後にホテルの従業員の方に伺ったところ、幸いにもそういう声は宿泊客の方からは出なかったそうで、それを聞いてやれやれと胸をなでおろした次第です。ホテルの従業員の方も、きっと私と同じ思いをされたことと思います。ちなみにこのイベントに対する生徒の評判はすこぶる良く、来年の旅行でも機会があれば「ぜひやりたい」という声が多数聞かれました。

 旅行二日目の朝。複数の生徒から、「昨日は殆ど眠れませんでした」、「ずっと起きていました」という声がちらほら聞かれました。ホテル出発後の移動バスの車内は、一日目とは打って変わってとても静かなものでした。熟睡していた生徒は数多く、前日に三時間しか眠れなかった私も決して例外ではなく、車内で仮眠をとらせていただきました。
二日目の行き先とコース内容は次の通りです。
●二日目(七コース)

わさび加工体験

①天城コース…河津七滝キャニオニング→浄蓮の滝/②海と洞窟コース…[シーカヤック→堂ヶ島温泉]または[堂ヶ島洞窟巡りクルーズ→シーカヤック]/③パラグライダーコース…パラグライダー→伊豆アニマルキングダム/④堂ヶ島・天城コース…堂ヶ島洞窟巡りクルーズ→わさび加工体験→浄蓮の滝/⑤修善寺コース…土肥金山→修善寺散策→修善寺虹の郷/⑥熱海釣りコース…熱海港→釣り体験→熱海港散策/⑦沼津コース…(ホテル五時出発)→沼津魚市場で競り見学→淡島マリンパーク→竜宮海鮮市場

 一日目も二日目も、どれも魅力的なコースばかりで、生徒たちも伊豆の自然や文化を堪能しながら、きっと充実した二日間を過ごすことができたと思います。
二日間の旅行中、怪我をした生徒や体調不良で病院に行った生徒は、幸い一人もおりませんでした。また、ありがたいことに天気にも恵まれ、梅雨入りの報道で半ば諦めていた海や川でのアクティビティも、全て予定通り行うことができました。

 最後になりますが、旅行委員の生徒は、昨年度の中三旅行終了時から今回の旅行が終わるまで本当によく頑張ってくれました。旅行の準備のために下校時間がかなり遅くなったこともありましたが、旅行委員としての務めを果たすべく、最後まで尽力してくれました。既に来年の高二修学旅行の旅行委員会も発足し、活動もスタートさせております。来年は最後の学年旅行になりますが、フィナーレに相応しい素敵な旅になることを期待しております。

2017年度の例

去る六月八日・九日の二日間、高一学年は福島県の会津方面を中心とする学年旅行を行いました。開成中学校から進学してきた、いわゆる「旧高」にとっては四回目となる学年旅行ですが、今回は五組・六組のいわゆる「新高」がいっしょに楽しむ最初の旅行です。学年全員で交流することを目的とした「夜のプログラム」にも力を入れ、旅行委員の生徒たちを中心に盛りだくさんの旅行を計画してきました。

一日目の日中は、会津鶴ヶ城、飯盛山、会津藩校日新館など、主に白虎隊にまつわる史跡を全員で見学する行程でした。道路が混雑していたこともあり、予定よりも時間の制約が厳しくなってしまいましたが、その中でも「みんなに会津鶴ヶ城をぜひ堪能してもらいたい」という旅行委員の鶴ヶ城担当生徒が、他の生徒の誘導に気をとられるあまり自分の入城チケットをもらいそびれるという微笑ましいハプニングがありました。飯盛山では、現在の自分たちとほぼ同年代だった白虎隊士たちが、煙に包まれているように見えた鶴ヶ城が陥落したと考え絶望していたその時へと思いを馳せる生徒の姿がありました。

宿舎に到着した後、体操着に着替えてそそくさと(!?)夕食を済ませた生徒たちは再びバスに乗り、宿舎からほど近い町の体育館に移動して「夜のプログラム」を行いました。四百人がいっしょに活動できる広々としたフロアで、まずは腰を下ろした状態から学年全員が手をつないだまま立ち上がる「立ち上がりゲーム」によって一体感が高まりました。次に「バナナおに」という一種のおにごっこで体を動かしたのですが、クラスごとに独自の作戦を立てて参戦するスタイルは運動会を彷彿とさせるものでした。さらに、新聞紙とセロハンテープのみを用いてできるかぎり高いオブジェを制作するという「積み上げゲーム」をしたのですが、一組から八組までの同じ出席番号の生徒八人が集まってチームを作ることで、普段の学校生活ではなかなか交流する機会のない生徒同士が話し合い協力し合う場面が見られました。最後に、演劇部の生徒による劇を学年全員で観賞して「夜のプログラム」を終えました。

二日目は、五時十分集合の有志による「朝のプログラム」で幕を開け、朝食後、八コースに分かれてそれぞれの見学・体験などを行いました。「五色沼コース」では、磐梯山噴火記念館における出前授業と館内見学の後、五色沼自然探勝路をガイドさんの解説を聞きながら散策しました。「鍾乳洞コース」では、入水鍾乳洞で本格的なケービングを体験した後、あぶくま洞で美しい洞内の見学をしました。「喜多方コース」では、喜多方蔵の里の見学で歴史を感じた後、ラーメンの食べ歩きに挑戦しました。「会津じっくりコース」では、会津武家屋敷の見学や赤べこ・起き上がり小法師制作体験の後、御薬園で庭園の観賞をしました。「猪苗代コース」では、天鏡閣で近代日本の西洋文化受容のあり方や当時の皇族について思い巡らせた後、野口英世記念館の見学をしました。「さくらんぼコース」では、さくらんぼ狩りをした後、遊覧船に乗船し、史跡足利学校まで足を延ばしました。「南会津コース」では、お座トロ展望列車に乗車後、塔のへつりや大内宿を見学し、大川荘で温泉や岩盤浴を堪能しました。「白河コース」では、白河の関や白河小峰城を見学した後、お菓子の城でアップルパイ作りを体験しました。そして、すべてのバスが九日の夕方には学校に到着しました。

今年の旅行でも、準備段階からいろいろな意味で旅行委員の生徒たちの熱意が感じられました。旅行先が決まった当初、会津地方とはいえ福島県内であるため放射性物質に関して心配する人もいるのではないか、という懸念が持ち上がりました。すると、それを払拭しようとした旅行委員の一人が連休中に単身会津に乗り込み、簡易型の放射線量測定機で測定を行った上で、旅行委員長を中心とした旅行委員会の生徒たちが教員団に対して「こういう結果が出ているので心配には及びません」という報告を上げてきたのです。これ自体は当時中学生だった生徒たちの微笑ましいエピソードの一つですが、我々教員にとってはそれなりの感慨を覚える出来事でした。また、これも「旧高」の生徒がまだ中学三年生だったときですが、旅行委員会として学年の生徒全体に会津についての番組を見せたいという申し入れがありました。ただ、全員でいっしょに見るための時間と場所が確保できなかったため、彼らは当時中三の授業を担当していた教員を個別に尋ねて回り、休講となる時間を旅行委員会が譲り受けて、事前学習の時間として活用させてもらいました(もちろん授業を無理にやめてもらうように圧力をかけたわけではありません)。定期考査前の休講の時間は多くの生徒にとって試験勉強をする絶好の機会なのですが、旅行委員たちの思いを感じてか、各クラスの生徒たちはみな熱心にテレビ画面を見ていました(入学してからの期間が短かったために「新高」の生徒たちの事前学習をする時間が確保できなかったのは残念でした)。

旅行当日も、旅行委員の活躍する姿が随所に見られましたが、そのような旅行委員の熱意が他の生徒たちにしっかり伝わっているようで、旅行委員の指示がなかなか伝わりにくい場面でも他の生徒たちはみな協力的な態度をとるなど、旅行委員の生徒たちへのリスペクトが強く感じられる旅行になりました。もちろん、そのリスペクトを引き出したのはみんなを楽しませたいという旅行委員たちの熱意です。このような高一旅行を経た結果、立ち上った新高二旅行委員会の人数は七十名近くにのぼり、開成での初めての旅行を満喫した「新高」の生徒たちも数多く集っています。これからも互いへのリスペクトを高めつつ、生徒たちが成長していってくれることを願っています。

 2016年度の例

「ありがとう 那須」

「学年全体で苦労を乗り越え、達成感を得る」。これが今回の旅行のコンセプトであった。四月に新たなメンバー一〇二名を迎え、いよいよ旅行という雰囲気が高まってきたのは、中間試験が終わったころからであろう。旅行委員たちはしおりの作成に向けてだいぶ根を詰めていたが。

さて、今回の旅行は「那須塩原」を中心に栃木県を巡るコースが設けられた。初日は大田原市の県北体育館で生徒主導のアクティビティが行われた。全員が無言のまま、十二星座に分かれる「グループ分け」では、生徒たちが工夫をして自分の星座を伝え合う様子がほほえましかった。ジェスチャーでアピールする者、ホワイトボードにマグネットで字を書く者など、各自が工夫を凝らして仲間を探していた。秀逸だったのは、「Y木」先生を連れてきてグループのシンボルにした者たちだ。彼らが何座なのかは説明せずともおわかりいただけるであろう。

他には、「貿易ゲーム」という戦略を駆使したゲームを全員で行ったり、グループに分かれて人文字をつくったりと様々なアクティビティを行っていた。

初日はこのあとに那須岳ハイキングを予定していたが、山頂のコンディションが悪く、断念せざるを得なかった。その判断のおかげでホテルでの活動はゆとりができ、体力の余った生徒たちが遅くまで親交を深めることになったのは言うまでもないだろう。

二日目は七つのコースに分かれた。私は「開墾コース」という一見すると何かのペナルティのようなコースの担当であった。

大田原市の前田牧場が所有する休耕田をお借りし、好き放題に伸びた草をかり集め、鍬で地面を掘り起こす作業を行った。普段農作業などとは無縁の開成生だが、いざ始まると黙々と草を刈り集め、あっという間に刈り取った草の小山を作り上げたのには、引率の私だけではなく、農家の方々も驚いていた。カエルに蛇、果てはモグラまでが生徒たちを歓迎してくれ、私自身も自然の中で久しぶりに心地の良い汗をかくことができた。最後には植え付け作業も行い、自分たちで開墾した畑や作物の育ち具合はネットで観察できるとのこと。帰りのバスでは、作業の疲れか、はたまた前夜のがんばり故か、生徒たちはすやすやと心地よさげに寝息を立てていた。

2015年度の例

高校から新しく仲間を加えた高1学年の旅行(一泊二日)は、「今しか行けない、皆が一つになれる旅行」をコンセプトに、委員長の大堀君、副委員長の栗田君(この二人は、委員長選挙において得票数の差がわずか一票であった)を中心に、旅行委員が1年間準備してきた。「今しか行けない」の「今」とは、二〇一五年の「今」であると同時に、一五・六歳の「今」ということであり、「皆が一つになれる」とは、新しく高校から加わる仲間も加えて学年全体が一体感を味わえるということである。このコンセプトに沿って行先候補が絞られてゆき、学年投票の結果、行先が岩手・安比高原方面に決まった。これが、昨年七月のことである。以来、旅行委員の面々は、岩手・安比高原という舞台でこのコンセプトを少しでも具現化すべく、まさに粉骨砕身で準備にあたってきた。
終わって振り返ってみれば、岩手・安比の自然や文化を舞台に、このコンセプトは十分に達成されたように思う、顧問としては、このコンセプトに加えて、折に触れて「旅行代理店が持ってくるようなコースではなく、開成生ならではのコースを創り上げてほしい」ということを伝えてきたが、それもまた十分に達成されたと思う。

宿泊先の安比高原は、標高一三〇五メートルの前森山の麓に広大なブナの二次林が広がっており、豊かで神秘的な自然のなかに、人と自然の交わってきた歴史が感じられる空間となっている。今回は、ほぼ全員が、二日間のいずれかで、ブナ林で散策やオリエンテーリングを体験するコース設定がされた。オリエンテーリングは、事前に旅行委員が開成生向けに難易度の高いコース設定を依頼、ポストに到達するために道無き道を進み、クマやカモシカに遭遇した生徒もいたほか、二日目の散策に参加した生徒は、絶滅危惧種のモリアオガエルやその卵に出遭ったようである。一日目はあいにく天候に恵まれず、嵐のなかのオリエンテーリングとなったが、悪天候のなか大自然を駆け回ったり、都会では出遭うことのできない生き物と出遭ったりというのは、まさに一五・六歳の「今」しかできない体験であろう。
ブナ林以外には、前森山をマウンテンバイクで下るコース、近くの鍋越沢を登りながら生物調査を体験するコース、パラグライダー体験のコースが設定された。パラグライダーは、悪天候により2日間とも出来なかったが、恐らくは最も落胆したであろう準備担当の生徒が「ブナ林も楽しかったですよ」と笑顔で語ってくれたとき、彼らには彼らなりにこの体験を活かしていく力があると感じた。
さらに安比高原以外のコースとして、盛岡市内をめぐるコース、歴史の舞台平泉をめぐるコース、文学の舞台花巻をめぐるコース、御所野縄文公園で縄文時代の生活を体験するコースが設定された。紙面も限られているので、縷々その内容を述べることはしないが、いずれも一五・六歳の「今」しかできない経験であったろう。

「皆が一つになれる」というコンセプトは、夕食(BBQ)の前に行った学年レクリエーションで、達成されたように思う。委員長の大堀君を起点とし、誕生日順に言葉を使わずに円形に並ぶ。沈黙のなか学年の輪が徐々に出来上がっていくのは壮観であったし(ただ、一学年四〇〇人近くというのはやはりかなり人数規模が大きく、大きなホールでもやや手狭ではあった)、並んでいる最中に、この学年で流行っている(らしい)音頭の手拍子が自然に発生したときは、この学年らしい一体感が感じられた。
今回の旅は、自然を正面から相手にしなければならないコースが多かったり、行程に幾多のパターンがあり複雑化したりして、旅行委員、とりわけ執行部の生徒たちの苦労も大きかった。しかし、その分、成長の幅も大きく、様々な面での「可動域」が大きく広がったのではないかと思う。顧問である私もまた、教員として学ぶところの多い一年であった。
これまでの経験の集大成たる来年度の研修旅行が今から楽しみである。

2014年度の例

高一の旅行は一泊二日で、上高地・飛騨方面に行きました。

学校前でのバス待機の問題や都心部の渋滞回避のため、新宿センタービル前での集合・解散としました。

往路のバスはクラスごとの乗車です。盛り上がって運動会のエールを歌い出すなど、クラスで団結した運動会を思い出しつつ、親睦を深めていました。

往路の途中では「昨日からの雨で上高地はまだ地面がぬかるんでいるので、お弁当はバスの中で」と話していました。しかし次第に雨も上がり、着いてみたら地面も乾いていたので、当初の予定通り外で食べることにしました。

内部進学生・編入生を合わせた四百名全体が交流と親睦を深めることも、高一旅行の大きな目的の一つです。上高地では、一組から八組までの同じ出席番号の八人で班を編成して、一緒にお昼を食べ、ハイキングをしました。標高約千五百メートルの上高地は風が冷たく感じられましたが、バスから降りた生徒は「寒い!」と驚くだけでなく「空気がきれい!」と感動していました。残念ながら雲に覆われて穂高連峰の姿は見えませんでしたが、梓川の清流、カラマツやダケカンバなどの新緑、出会ったニホンザルの群れなど、上高地の自然を満喫した数時間でした。

夕方、上高地を出て高山市内のホテルに向かいました。ホテルは全て洋室で三人または四人部屋です。部屋割りは翌日のコースごとに、クラスの枠を超えて編成しました。内部進学生と編入生が混じっている部屋がいくつもあり、この旅行を機に交流を深めようという意欲が感じられました。

二日目は、白川郷に向かうコースと高山の市街地に向かうコースに分かれて、それぞれ班別の自主見学を行いました。東京ではひどい雨だったようですが、飛騨地方は快晴で、暑いくらいでした。

白川郷では合掌造りの集落を見下ろす展望台で解散して、集落の中を散策しながら、公開されている建物の中に入って見学です。飛騨の森で育った木を巧みに利用した、先人の知恵の結晶である合掌造りの家は生徒たちの知的好奇心を大いに刺激し、そんな生徒たちに地元の方々がいろいろと教えてくださっているのを見かけました。

高山では、資料館などを見学しつつ、古い街並みを散策し、お土産を探したり、五平餅や飛騨牛コロッケやソフトクリームなどをおいしそうに食べている生徒たちとたくさんすれ違いました。賢くレンタサイクルを借りて効率的に回っている班もありました。

白川郷も高山も、各自でお昼を済ませて集合し、新宿への帰路につきました。生徒たちが投票で決めた行き先で、現地ではとても楽しく、また学びも多い時間を過ごすことができました。しかし、一泊二日の旅で一日目の午前と二日目の午後は移動に費やされてしまうという遠さを、行ってみて改めて実感した生徒も多かったようです。高二修学旅行が、今回の経験や教訓が十分に反映されて充実した旅になるよう期待しています。

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