「漢文って勉強する意味あるんですか?」これまでに何度も問われてきました。
中国の古典文である漢文を国語の授業で学ぶ、その意味を生徒が感じにくいのは無理もありません。しかも開成では漢文は必修。将来どんな道に進むにしても、全員が高校3年まで学び続けるのです。いったい漢文の何がどれほど大切なのか?

早稲田大学大学院教育学研究科を修了。2010年、開成に着任し、国語科で主に漢文を教えている。今後の目標は、引き算で構成する授業を模索することや、AIの活用や解説動画の公開など、新しい要素を授業に組み込んでいくこと。部活動では、自分自身が中学高校と続けてきたバレーボール部のほか、自身の趣味でもあるサウナを巡る同好会「開成ととのいの会」、他校では珍しいであろう「サラブレッド研究同好会」の顧問を担当。
もっとも、高校生については、開成の生徒の大半が受験する東京大学の入試で漢文が出題されているという現実的な状況が、とりあえずのわかりやすい学ぶ意味を与えてくれます。
問題は中学生です。「勉強する意味あるんですか?」という彼らの素朴な疑問にどう答えるか。ここで言葉を尽くして古典の意義や価値を教え込むことは、できない話じゃないけれど、すべきではない。自分にとっての意義や価値は、やはりその世界に触れることを通して、自分自身で見つけてほしいなと思うんです。
であるなら、本格的に高校で漢文を学ぶ前段階にいる彼らに対して、教師ができることって何なのか。
これは漢文に限らず、何を始める場合でもあてはまると思いますが、何よりもまず、興味をかきたてられ、「楽しい」「おもしろい」と感じる体験をしてもらうことではないか。「楽しい」「おもしろい」だから「もっとやりたい」。導入期にあっては、これこそが学ぶ一番の動機なのだと思います。
辞書を使ったゲームで、漢字を学ぶ楽しさを実感する
こんな思いから、古典導入期である中学2年の授業では、学びの楽しさを実感してもらうべくさまざまな取り組みを行っています。そのなかのひとつ、中学2年になってすぐに行うのが、辞書を使ったゲーム「たほいや」です。これは、辞書にある本来の説明文と参加者がでっちあげた偽の説明文とを混ぜ、そのなかから本来の説明文をあてるゲーム。テレビ番組でも取り上げられて有名になったゲームなので、ご存じの方も多いでしょう。本来は広辞苑を使って行うのですが、授業では漢文を構成する漢字そのものに興味を持ってもらうことを狙って、漢和辞典を使用しています。
まず、クラスを4、5人ずつのグループに分け、親を決めます。親は辞書からお題となる単語を選んで子に提示。子はできる限り本物っぽい、偽の説明文をつくります。親はこの偽の説明文を子から集め、辞書にある本来の説明文と混ぜて、1つずつ読み上げていきます。すべての文を親が読み上げたところで、子は正解だと思う説明文に持ち点を賭けます。
正解なら、賭けた点数を親からもらえますが、間違えたら、引っかかった偽の説明文の作成者に賭け点を渡し、親にも1点渡さなければなりません。つまり、自分がつくり上げた偽の説明文で友達をだますことができれば、持ち点が増える。このゲーム的な要素がモチベーションとなり、最初はとまどっていた生徒たちも必死で思考を巡らせることになります。

辞書を使ったゲーム「たほいや」のプリント。。リンクは実際に授業で使われている教材。
「え? 間違った答えを書くんですか?」 生徒たちの最初のとまどいはこれです。思いのほか、とまどいが大きいのは、正解をいち早く出すことを得意とし、それを評価されてきた生徒たちならではなのかもしれません。真面目な子ほど不正解を書くことへの抵抗が強く、手が動き出すまでに少々時間を要します。一方であまり考えずに適当な偽の説明文をどんどん書けるタイプの子もいるのですが、適当に書いた答えではあっさり嘘が見破られ、誰もひっかかってくれません。逆に友達の考えた偽の説明文に簡単にだまされてしまい、減りゆく持ち点を前に深く考えざるを得なくなる。かくして、誰もが主体的に漢字と向き合い、偽の説明文づくりに楽しく知恵をしぼることになるのです。
いかにも辞書っぽく上手につくるには、辞書の文体や説明の仕方を分析し理解してまねるという高度な国語力が求められます。中学2年時点での持てる力を振り絞って、なんとかひねり出さなくてはなりません。そのなかで、これまでなじみの薄かった漢和辞典に親しむことにもなります。また、漢字の部首や字形などに着目し、ひねりを加えて偽説明文をつくることを通して、漢字がさまざまな構成要素から成り立つことも体感できるし、表語文字である漢字の情報量の多さにも驚くはず。実はこれらは、その後、漢文を学んでいくうえでの基礎づくりでもあるのです。
とはいえ、生徒たちにとってはあくまでも楽しいゲームのようで、「先生、今日もたほいや? 授業はやらないんですか?」なんて聞いてくる。でも、そんな彼らも高校2年や3年になる頃には、「そうか、こうつながっていたのか」と、ここでやっていたことの意味に気づいてくれることになるのですが。




