教える側にとっても「開成は刺激的でおもしろい場」
中高一貫校の中学2年は、時間をたっぷり使って伸び伸びといろいろなことができる本当に贅沢な時期です。古典の導入期でもあるこの時期を私は「耕す」時期ととらえ、今お話ししてきたような興味をかきたてる楽しい授業を行っています。
続く中学3年から高校1年は、耕した土地に「肥料をまく」時期。テキストとして大先輩の橋本弘正先生の書かれた『入門漢文』を用い、送りがなや返り点など漢文の読み方の基礎と重要な句法を学びつつ、短めの定番となっている漢文教材をどんどん読んでいきます。
高校2年と3年は、「種をまく」時期。豊かになった土壌に、ぽんぽん種をまいていきます。とくに、漢文の基本を学び終え、大学入試までにはまだ間がある高校2年は、いろいろな教材を読み味わえる楽しい時期です。

漢文の基本を学び終え、大学入試までにはまだ間がある高校2年は、いろいろな教材を読み味わえる楽しい時期です。
そんな生徒といっしょに中国最古の詩集『詩経』から「桃夭」を読む授業を紹介しましょう。
私は、生徒をどんどん当てて、その発言を発展させていく双方向スタイルで授業を行っています。
この授業では、まず『詩経』について触れ、「桃夭」をみんなで音読。詩の形式と韻律を確認し、これが結婚を祝福する詩であることを説明してから、生徒に問いかけます。
「『桃之夭夭』って何ですか?」プリントに注釈もついているし現代語訳にも書いてありますから、誰でも答えられる。若々しい桃の木です。「灼灼其華」は? 美しく咲き誇る花。「有蕡其実」は? たわわに実った実。「其葉蓁蓁」は? 生い茂った葉。ここまでは読めば誰でもわかります。でも、問題はここから。
「ではみなさんに、ちょっと頭を使っていただきます。『桃の木』は何のメタファーですか?『華』『実』『葉』は、何をたとえたものですか?」
授業中も自由な発言を認めている私の教室は、生徒同士が話し合う声でしばし騒然。「たわわっておっぱいじゃね!?」と叫ぶ声が聞こえてきます。
考える時間を少しとってから数人を指名して聞いてみると、「桃の木は若い女性、華は女性の美しさ、実は生まれてくる子ども、葉は家の繁栄を表している」と定説に近い答えが出る一方で、「桃の木は若い女性、華は若い女性の美しい体つき、実はふっくらした女性らしい体つき、葉は髪が伸び豊満な女性の体つき」と女性の体から離れられない解釈も。
「実はこの解釈というのは、昔からかなり割れています」私はそう言いながら、「桃夭」の古い注釈の原文を生徒たちに配布します。本格的な漢文で書かれているので非常に読みにくいけれども、丁寧に読んでいくと、「葉」の茂る様子を家の繁栄とはとらえず、女性の体の形容であると書いてあることがわかります。
つまり、「桃夭」は女性の体つきをうたったものであると解釈してもまったく問題はなく、実際に中国ではそういう解釈もなされたというわけです。漢文を読み、さらにその古い注釈の原文にあたることで、多様な見方と解釈の自由さを知ることができるのですね。そんな体験をしてもらいたくて、この古い注釈を使って授業を行っています。
授業で生徒たちに何をどこまで提示するかは非常に悩ましい問題ですが、私はこんなふうに考えています。開成生の場合、たいていのことは「自分でやっておいてね」とプリントを配布すれば、自分でできてしまうんですね。だから授業に参加させるからには、この話をやるならここまで触れるべきだろうと思える深い話を授業のなかで示す必要がある。そこまでやらなくてはいけない、と。
開成という場所は、教材を選び教える教員の側にとっても、かくも刺激的でおもしろい場であるのです。

中国最古の詩集『詩経』にある「桃之夭夭」の教材プリント。リンクでは生徒が書き込んだプリントや古い注釈の原文も紹介する。
意見をぶつけ合うことで、級友へのリスペクトが生まれる
高校2年の授業からもうひとつ、「漁父の辞」のグループワークを紹介しましょう。
「漁父の辞」は、簡単に言うと、都を追放され落ちぶれた屈原が川で出会った漁父に、「自分は清らかに生きていきたい」と語るも、漁父は「世の中が澄んでいたら冠の紐を洗い、濁っていたら足を洗えばいいじゃないか」と世の流れに身を任せる生き方を説き、にっこり笑って去って行ったという話です。
この話を使って、問題つくりのグループワークを行いました。作成した問題を持ち寄ってグループで検討して良問を選び、さらにブラッシュアップしたのですが、非常にいい問題だと思ったのは、「漁父は何者なのか」という設問と「漁父がにっこりと笑いながら去って行くが、この笑いの意味はどのようなものか」という設問です。
どちらも教科書には同じ設問が掲載されていますが、与えられた問題に答えることと本文を読み込んで自ら問いをつくることは大違い。グループワークではこの問いにたどりつくまでに、積極的に発想を広げて思索を深めている様子が窺えました。
グループで検討するなかで、ひとりの生徒が「これは儒家と道家の対立の話だよね」と教科書的な解釈を持ち出すと、別のひとりが「本当にそれだけでいいのかなあ。だったらどうして最後に、にっこり笑ったんだろう?」と問題提起。これに対して別の生徒が「いや、この漁父というのは屈原の心理の投影で、漁父は過去の屈原だと見るべきではないか。今の屈原に向かって過去の屈原が、『未来のお前は本当にそれでいいのか。将来そういう考えになったら生活が苦しくなるぞ』みたいなことを問いただす話ではないか」と言い出したのです。もちろんそんな解釈は教えていないけれど、そう読むことは自由です。
それを聞いた生徒たちは、「その視点は自分にはなかった」「おもしろいね」と反応。自分にはない解釈が友人から出てくるのが、グループワークの醍醐味でもあります。
ひとりで取り組むよりも、みんなで取り組んだほうがよいものが生まれる、もっと先に進める――そんなふうに生徒たちはとらえ、「みんなすごいよね」という周囲へのリスペクトが自然に生まれているように思います。
「漁父の辞」をテーマにした問題つくりの教材プリント。リンクでは、生徒の作成例を紹介。




