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中学三年修学旅行


石舞台古墳近くの広場での民泊「入村式」在学中に京都・奈良方面を一度は体験するという本校の方針は、例年、中3修学旅行で具現化されています。

旅行の準備は、毎年中2の頃から生徒の旅行委員会が主体となって行われます。旅のコンセプトを考えることから始まり、3日間の具体的な行程の検討、資料やパンフレットの作成、部屋分けや班分け、行動計画のチェックなどの準備段階の作業に加え、当日も、各場所での点呼や連絡、ミーティング、宿を出発する際の部屋チェックなども、旅行委員の生徒が行います。

2023年度の例

 通常、教員による行事報告は、第三者的な目線のものが多いと思いますが、今回のイベントにはすっかり巻き込まれてしまいましたので、自分のことを「私」や「僕」と記すのもしっくりいきません。ここでは私のことを「Y」と記します。 

 火曜日に活動できる生徒限定で集めたのに、約90名の旅行委員が集まったところから物語は始まる。委員長があっけなく決まったのに、副委員長が立候補者約10名も出ての激戦。立候補理由のプリントを用意しての一大イベントだった。
 一通り中心となる役職が決まると、1日目は全員で法隆寺に行くと決まっていたから、2日目の班別行動の形態をどうするか ということが会議での最初の議題となる。Yは「聖地巡礼コース」?いったい何の聖地だろう?と思いながらも、密かにこのコースは生かして欲しいと願っていた。何でもはっきり分かるものより、謎があった方が燃えるということを経験的に知っている。思い出に残る旅行がすぐそこだ。何とか通したい。
 Yは教員の学年会で、言うなれば1勝3敗1分け、提案がたいてい否決されていた。先生方の中では奈良2泊なのだから、2日目は奈良で班行動すべきとの空気が強い。一方、旅行委員の中には2日目も京都に行きたい という空気もあった。Yも大学が京都で水泳部だったから、「Yのバイト先 巡り」とか「大学プール見学」などの企画を考えていた。奈良2泊とは言え、強く京都を希望する班は認めてもらえるだろう と軽く考えて、うっかり正攻法で発言してしまった。こうして、『京都ショック』の激震。2日目、京都にいくことが禁止になってしまった。
 大山鳴動して鼠一匹、蓋を開けてみると、2日目の班行動は「飛鳥」「山の辺の道」「奈良公園」「平城宮」の4エリア、ありゃ、典型的な奈良観光4つになっていた。教員への忖度か、生徒の本心かは分からない。聖地巡礼はどこへやら。京都を楽しみにしていた生徒に、「京都はいつでも行けるから」と理由にならないことを言って何とか耐えるしかなかった。
 
 折から、元首相が奈良で襲撃されたり、年間死者数が激増したり、悪い材料ばかりが続く。5月の運動会の審判長がカッコよく旗を投げ上げるのをうらやましく見ていた。運動会はどちらかが負けると最初から分かっているから納得してもらえる。対して、修学旅行を中止というのはなかなかスッキリとは認めてもらえない。緊急事態宣言が出れば、実施の有無で、旗を投げ上げないといけない。場合によっては白旗を投げることになる。
 サンドバック状態も、ここまでくると失うものはない。却って活動しやすくなったので、旅行初日、興福寺の夜拝観がうまくいかなくても、奈良公園から若草山、そして2月堂への夜散策ができれば御の字である。飛鳥エリアで雨が降った場合、路線バスを借りれることになったから、どんな天気も怖くない。そうは言ってもいざ、旅行当日が近づいてくると、Yは逃げ腰だった。準備万端?
 
 旅行初日、東京駅に朝7時集合というと、旅行委員は6時30分ぐらいにはスタンバイだから、かなりきつい(はずだ)。文句も言わずに働く委員が頼もしい。その後の点呼も安心して任せておけばよかった。1回ぐらい「先生、どうしましょう(オロオロ)」という場面があるとイベントも盛り上がるのに、とYは不謹慎なことを考えてしまったのを反省する。法隆寺では、クラスを超えて、ガイドコース,法話コース,自由散策コースの3つに分かれ、夢殿と大宝蔵院、中宮寺をそれぞれ巡る。事前の国語の授業で古代建築学に少し触れたということで、投資に興味のあるYは、生徒から法隆寺の柱に関して説明を受けた。法隆寺にこんな長い時間をかけたのは初めてだったが、どうやら現代の投資には関係なさそうだ。
 法隆寺から貸切バスで元興寺付近まで移動し、そこからホテルまで、各自が「ならまち散策」である。散策とは言っても、そんなに時間はないから、猿沢池の周りでくつろぐぐらいだったかもしれない。
 夕食をとると、懐中電灯を片手に約170名が夜散策に出かける。夜中に稀にみる鹿は、神様の使い よろしく、光の中で神々(こうごう)しい。2月堂(写真①)から奈良の街を、夜中に見下ろす貴重な経験。9時に帰る予定が20分ぐらい遅れても、頼もしい旅行委員が10時ちょっと過ぎぐらいに、点呼就寝を終わらせた。夜散策なんて企画したら、就寝がいつになる?という心配、難なくクリア。
 前述したように、2日目は、大きく4つのエリアに分かれて班行動である。午後から崩れるだろう天気で、飛鳥の自転車グループは早めに切り上げることにした。案の定、夕方から大雨が通り過ぎた。旧奈良監獄は来年、ホテルになるので、今年が最後のチャンスだったようだ。
 3日目は、奈良から京都へ行く途中、宇治平等院よりも伏見稲荷(写真②)に行く班が多かった。御所,金閣,銀閣などに散らばり、最後は3時少し前に京都劇場前集合で、さほど混乱もなく集まった。
 奈良、京都の各観光地の話はネタばれになるので、これ以上の詳しい話はここでは控える。観光地は、自分で観光してこそ、輝くものだと思うから。

 Yにとっては、旅行が実施できた ということが数少ない大成功であった。この後、次の学年への引継ぎ、お世話になった人へのお礼などは生徒の委員に任せて、ホテルからの忘れ物だけ対応しよう、最後の仕事だとYは思った。

2019年度の例

六月七日、東京駅で新幹線を降りる中学三年生の多くは、充実した表情を見せていた。五日から行われた関西方面の修学旅行は、王道から玄人向けの場所を揃えた行程となった。

五日は新幹線で名古屋駅を経由して、近鉄線を貸切にして、伊賀神戸・赤目・桜井・橿原神宮前にわかれて下車し、それぞれのプログラムを実施した。伊賀コースは、伊賀上野公園を見学した後、さらに笠置寺と柳生の里にわかれ、後醍醐天皇の行在所や正長の土一揆の際に作成された柳生の徳政碑文(疱瘡地蔵)などを訪れた。赤目コースは、赤目四十八滝をいくつか見学した後、女人高野として有名な室生寺、さらには長谷寺を参詣した。桜井駅で下車した生徒たちは山辺の道を長岳寺から大神神社まで散策し、そこから談山神社を参詣した。そして、橿原神宮前駅で下車した生徒は、旅鞄を宿舎に置いた後、明日香村をサイクリングし、七世紀の都を楽しんだ。

二日目は二十五名程度の生徒が早朝に橿原神宮の散策をした後、三百人が八十二の班にわかれ、京都を経て滋賀県長浜市にあるホテルを目指した。ここでも近鉄線の貸切列車を利用し、西ノ京駅(唐招提寺・薬師寺)、大和西大寺(奈良公園・西大寺・平城京跡・平等院)、丹波橋(伏見・伏見稲荷大社・石清水八幡宮)、京都の四駅で下車していった。法隆寺に向かった生徒は別の列車で向かうことになったが、炎天下の中、ほぼ全ての班が時間内に長浜のホテルに到着することができた。京都ではオプション企画として、七条甘春堂での和菓子作り体験、京都御所の説明付き見学ツアー、そして京の手造り体験として扇子作りに挑戦した生徒もいた。

三日目は、それまでとはうってかわって本格的な雨模様となり、土砂降りになる時間帯もあったが、ほぼ予定通りに三つのコースを実施することができた。一つ目は湖北コースと称し、北国街道の宿場である長浜を散策した後、戦国時代に織田信長と戦って敗れた浅井氏の拠点である小谷城を、ガイドさんの説明にしたがって登山(といっても良いくらいの山城)し、その後、渡岸寺(向源寺)に所蔵されている国宝十一面観音像を目の当たりにした。そこから中山道の宿場町である醒ヶ井宿に立ち寄り、江戸時代以来の風景を満喫した。二つ目は竹生島コースと称し、琵琶湖に浮かぶ竹生島までフェリーを貸し切って渡航し、島を見学した後、長浜市内をじっくり見学して、電車で米原まで行く行程であった。風雨の影響で船の欠航も心配されたが、なんとか島に渡ることができた。そして滞在時間が短くなったことを受けて、「全島放送」によって港に集合し、また長浜市まで戻ることができた。三つ目は滋賀散策コースと称し、長浜市・彦根市・醒ヶ井宿を、それぞれ時間をかけて見学するというものであった。街歩きをするには雨量の多い時間帯もあったが、醒ヶ井に着く頃には雨もやみ、生徒は街道沿いの醤油屋で売られている「醤油ソフトクリーム」や、冷涼な清流でしか生育しないバイカモを横目に、その草の粉末を練り込んだ「バイカモソフトクリーム」などを食べながら、ゆったりとした時間を過ごした。

このような行程になったきっかけは、旅行委員会の生徒たちから「忍者が見たい」、「赤目四十八滝を見学したい」という意見が出されたことによる。これまでの旅行委員会は、ある程度決められたところから調整するという役割が多かったが、今回は宿泊先が決まっているだけで、具体的な行程は生徒たちによって作られた。それが形となって実施されたことに、充実感を覚えた生徒もいたのではないだろうか。それが冒頭に書いた生徒たちの表情としてあらわれていたのだと思う。三百人全員が参加できたことも素晴らしいことであった。

そして、中三旅行が終了した翌週に、早くも来年の旅行に向けた旅行委員長選挙が行われ、その翌日には旅行委員会が発足した。今回の旅行の反省をいかし、新高生をあたたかく迎えられるような旅行を作り上げてもらいたい。

2018年度の例

今回,開成の歴史では初めての 3 泊 4 日の中 3 関西旅行でした。1 泊目(6/5)を民泊にあて,2 ~ 3 泊目(6/6, 7)を信貴山観光ホテルの連泊としたわけですが,特に中学の旅行で全生徒が民泊を行うというのは初めてのことで,それを主催していただいた「飛鳥ニューツーリズム協会」には大変感謝しています。この種の主催者には民泊なのか民宿なのかわからないものが多い中,民泊参加者を決してお客様扱いせず,家族の一員としてともに仕事をし・食事を作り・楽しみ・休息するという明確なコンセプトを有する組織だったことは大変ありがたいことでした。民泊中だけは携帯持ち込み禁止とし,生徒たち(3 ~ 4 人のグループ)はそれぞれホストファミリーの家族の一員として貴重な体験をさせていただいたようです。飛鳥ニューツーリズムでも 300 余人の大人数を対象とするのは初めての経験であったようで,飛鳥・宇陀・下市の 3 エリアに分かれての実施で,その事前の準備は大変だったと思います。

民泊翌日はバスで 7 コースに分かれての見学です。コースを立案したのは主に私(石附)ですが,その特徴的な事例をあげれば,大峰修験・天理教本部・室生龍穴神社・少年刑務所・多聞城跡(若草中学校)・唐招提寺御影堂修理現場などになりましょうか?一般的な観光地に加えて,一歩掘り下げた見学・体験を盛り込みたかったのですが,皆様のお陰でそれがある程度実現できたと思います。そのために留意すべき点として,地元の役所(観光課や教育委員会)などに積極的に相談すること,また見学地にお願いの手紙を事前に送ること,現地でのガイドをなるべくそこの関係者(寺社ならそのお坊さんや神主さん,博物館ならその学芸員さんetc.)にお願いすること,等があげられると思います。6 月 6 日はあいにくの雨天でしたが,何かしら心に残る見学ができたのではないかと思います。

6 月 7 日は 1 日中の班別自由行動,最終日はバスで京都各地に移動して半日の班別自由行動でした。実施にあたって,諸先生方はじめ関係の方々の御協力を賜りましたこと深く感謝いたします。生徒旅行委員の皆様もよく頑張ってくれました。情報伝達の不行き届き,ホテルで食事や入浴時間などせわしなかったこと,自由行動の計画表チェックが不十分だったことなど,反省点が多々あり,この点は申し訳ないことをしましたが,これら改善すべき点を踏まえて,高校での修学旅行で生徒旅委の皆さんが積極的にプランニングに参加していただくことを期待いたしたいと思います。

2017年度の例

 2泊3日の奈良・京都の旅を終えて東京駅の改札を出ると、妙に頭と身体がフワフワしていました。無事に帰京した安心感からか、いまだ冷めぬ興奮からか、寝不足からくる何とかハイなのか分かりませんが、旅行の余韻が身体を覆っていました。

 ふぅと息を吐いて顔を上げると、談山(たんざん)神社がフラッシュバック!やっぱり疲れているのかな、と思いつつ、よくよく見ると駅構内の壁いたるところに、最近まで目にしていた十三重の塔の写真が・・・。JRの奈良推しCM「うましうるわし」に、談山神社が特集されているではありませんか。

 宿泊は談山神社徒歩10歩、多武峰(とうのみね)観光ホテル(桜井市)でした。奈良盆地の南、明日香や吉野、宇陀にもアクセスしやすいこの地を選んだのは早や二年前、「せっかくだから個人旅行で行かないような所を多く回れるようにしよう」との組主任団の意見に依ります。

 しかし昨年、奥多摩旅行のあと新旅行委員が発足してみると、行きたいところに挙がったのは「東大寺」「法隆寺」「鹿公園!」・・・うーん、それなら宿泊は奈良市内で良かったよね。さらには「伊勢」「伏見」「USJ」・・・もう奈良でもないゾ。親の心子知らず。

 修学旅行の一部をご紹介いたします。1日目は、①唐招提寺コース、②東大寺コース、③伊勢コースの3つに分かれました。伊勢が滑り込んだ・・・どころか、最多得票数を獲得しての最大勢力になりました。近年、式年遷宮や伊勢志摩サミットがあった影響で、ずいぶん人気になったようです。潔く「三重・奈良・京都旅行」と改めます。

 全てのコースを紹介申し上げたいところですが、書くのも読むのも辛いと思われますので、私が引率した②東大寺コースについて。このコースは、ベタな感じで東大寺の大仏殿を参拝しました。それはもう修学旅行生や国内外からの観光客でごった返し、ベタな旅行の集合体といった雰囲気です。しかし、そんなベタベタな旅行のために、私たち開成生は大仏殿に来たのではありません。

 とある組織の最高レベルから忖度(そんたく)があったかどうかは文書に残っておらず確認致しかねますが、私たちは特別に須(しゅ)弥壇(みだん)(※大仏が安置されている一段高くなったところ)登壇を許され、盧舎那(るしゃな)大仏に触れられる位置での見学が叶いました。1日に何千人と訪れる大仏殿では、普通は須弥壇の周りから離れて大仏を見学するのですが、私たちはディズニーランドのファストパスが如くスルスルっと階段を登り、周囲から「あの団体は一体全体何なのだ?」と羨望の眼差しを(たぶん)受けながら、須弥壇登壇を果たしました。大仏殿は過去に幾度か火災にあっており、大仏も修復をされながら今日の姿に至っています。しかし台座にあたる蓮華座(れんげざ)の部分には、奈良時代のままの細かい装飾(線刻画)が残っており、これは須弥壇からでないと見えないものです。一生モノの貴重な経験となりました。

 その後、生徒3人が人混みに紛れて迷子になったのですが、大仏のご加護もあって40分後に無事合流できたことも、書き添えておきます。

 旅行2日目は7コースに分かれました。①飛鳥サイクリングコース、②飛鳥・橿原(かしはら)コース、③若草山ハイキングコース、④斑鳩・信貴(しぎ)コース、⑤山辺の道コース、⑥高野山コース、⑦宇治・伏見コースです。

 ②飛鳥・橿原コースで訪れた橿原市博物館では、隣接する古墳から実際に出土した土器の破片を使って、修復・接合体験が出来るという、恐らく日本唯一の博物館です。これは、奈良県PRにいらした奈良県東京事務所の方から聞いた情報をもとに企画されました。日本橋室町(三越向かい)に奈良県アンテナショップがあり、その2階に奈良県事務所があるのですが、旅行計画のためにわざわざ実際に足を運んで奈良の情報収集をした旅行委員もいたそうです。この件も含め、計画段階や旅行中の旅委生徒の行動力には本当に頭が下がる思いです。企画から運営まで、旅行委員の献身的な行動なしには全く成り立ちません。7つものコースが設定され、生徒も引率者も全貌が掴めないままに進行した2日目でしたが、大きなトラブルなく終えることが出来ました。

 3日目は、班別自主研修(奈良~京都)でした。京都駅集合時刻の40分前になって、「今、ナンバとかいう御堂筋(みどうすじ)線の駅にいるのですが、集合時刻に間に合いそうにありません」と緊急の電話をかけてきた謎の班を除いては、半日ながら奈良~京都の名所をベタに満喫したようです。

 最後に、お詫びと言い訳を。とにかく多岐にわたるイベント・体験・企画・見学地を含んだ旅行だったため、ほとんどご紹介することが出来ませんでした。しかも、皆様にご紹介するにはあまりに乱暴な文章だと自覚しております。しかし、一緒に旅した中学3年生にとっては、友人の笑顔とともに古都奈良の風景がフラッシュバックするキーワードがいくつか含まれているかもしれません。将来、何かの拍子に奈良を思い出したなら、親しい友人や愛する家族を伴って奈良を再訪してくれれば、旅行担当としてこれ以上の喜びはありません。来年も素晴らしい旅行を楽しみにしています。

・2017/07/04 中3修学旅行報告

2016年度の例

中三学年は、6月1日(水)~3日(金)の三日間、奈良・京都へ修学旅行に行きました。一日目は、全員で法隆寺・薬師寺・唐招提寺を見学し、二日目の日中は、少人数のグループに分かれて奈良・京都などで自由行動をしました。三日目は、京都周辺で七コースに分かれてコース別見学をしたのですが、二日目夜にも、妙心寺での座禅体験または宿舎での狂言鑑賞のどちらかに参加する「夜のプログラム」が組まれており、スケジュールがぎっしり詰まった盛り沢山の旅行だったといえるでしょう。

奈良・京都方面で定番の観光地における学習も思い出に残るものでしたし、旅行委員会が作成したパンフレットや授業などでの事前学習も効果を上げたと思いますが、2016年の中三修学旅行におけるオリジナルプログラムは、なんといっても料理の学習だったと思います。三日目のコース別見学では、七コースすべてで料亭における京懐石風料理をいただいたのですが、そのために家庭科の授業で関東の料理と関西の料理の違いや「懐石料理」の意味などを学び、お邪魔する料亭からはメニューどころか場合によってはレシピまで送っていただいて事前の調理実習まで行いました。調理実習のレポートは教員が集めたわけではなく旅行委員の生徒が回収したのですが、二百数十名による写真付き調理実習レポート集は圧巻で、それだけで印刷会社に依頼して冊子を作成するほどでした(なお、当日料亭にその冊子を差し上げたところ、驚かれたり感激されたりと各コースで大きな反響があったようです)。

今回の旅行では、まず中三の生徒みんなを楽しませようとする旅行委員会メンバーの強い思いがあり、それが料理をはじめとする充実したプログラムの源(みなもと)となりました。また、料亭によっては企業秘密であるはずのレシピなどを快く出していただきましたし、依頼・交渉の末それを取り寄せてくださった旅行会社の方々にもご負担をおかけしました。さらに、家庭での調理実習などには保護者のみなさんをはじめ、ご家族の協力も欠かせませんでした。あの充実した旅行には多くの方々の支えがあったことを心に刻みつつ、生徒たちもますます成長してくれていることでしょう。

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2015年度の例

ピーーーッ、という音とともにドアが閉まった。ドアが開き、出発するまでおよそ4分。追い立てられるように乗車した。その間、旅行委員は忙しく点呼を取り、終了報告が矢継ぎ早に来る。
慌ただしかった時間が過ぎ、遅刻した生徒がいないことにほっと安堵の胸をなで下ろした。
京都につきバスに乗り換え、クラス単位で斑鳩を散策。唐招提寺、薬師寺ともに修学旅行のハイシーズンとみえて、大勢の中高生でごった返していた。共学の学校を横目に見ながら、「羨ましがるのはやめよう」、という暗黙の空気で結束力が高まっていたようだ。最後に法隆寺を訪れたが、他の学校は帰路についたようで、ゆっくりと世界遺産を満喫できた。
二日目は旅行委員たっての希望で二月堂への散歩からスタート。早朝5時発と早いにもかかわらず大勢の希望者がいたため、抽選で40名に絞らねばならなかったのが心残りである。石附先生の解説と塚原先生の引率つきという大変贅沢なオプショナルツアーとなった。
二日目は、天気に恵まれ絶好の散策日和であった。事前につくった行程表に従っての班別研修を行ったが、遠くは吉野・柳生・室生などを訪ねた班もある一方、東大寺周辺を満喫した班も多かった。室生では年配のご婦人が階段の昇降に苦慮しているのを見かねた生徒が手を引いてエスコートし、ご婦人から感謝される、という話もあったようだ。校外で学ぶことは多い。
夜は2コースに分かれての体験学習だ。座禅コースは妙心寺退蔵院のご住職から講話をいただき、約200名の生徒が物音一つ立てずに静寂の中で座禅を組んでいる様子は圧巻であった。舞妓コースはホテルの大広間で伝統歌舞を鑑賞ののち、舞妓さんとお座敷遊びで対決した。2名の者が舞妓さんに勝利したが、負けた者も健闘していた。自分たちとほとんど年の変わらない人が、舞妓として働いていることに素朴な驚きを感じたようだ。
三日目は「京に学び京に遊ぶ」というテーマで旅行委員がつくりあげた7つの体験コースを堪能した。体験学習(八ツ橋・和菓子・抹茶作り、大文字山ハイキング、保津川下り、清水焼、京友禅)と見学とを上手く組み合わせ、充実した時間をすごすことができた。
最後に、点呼や確認においては旅行委員が陰で本当によく働いてくれた。旅行を終えた時の彼らの顔からも、その充実ぶりがうかがえた。よい旅行であった。

・2015/5/30甃のうへ

2014年度の例

1日目は「王道を征く」のテーマのもと、法隆寺、薬師寺、唐招提寺といった、奈良を知る上で外すことのできない場所を学年全員が見学しました。法隆寺や薬師寺について言えば、中学2年の3学期に、西岡常一『木に学べ』を国語の時間に読んでおり、現場で飛鳥時代と室町以降の建築を熱心に比較している生徒も少なくありませんでした。また、薬師寺では、法話を通して、その話術のあまりの見事さに圧倒されつつ、仏道の一端に触れることができました。

2日目は、「掘り出そう、奈良の力を」をテーマに、奈良公園周辺や斑鳩、明日香、山の辺の道、室生、吉野などの場所に散り、それぞれの小グループがそれぞれの興味・関心に応じて奈良の地を巡りました。奈良には千年以上前のものがそのまま遺っており、風土と融け合っています。目に見える事物だけでなく、踏みしめる土や、髪を撫でる風に古代のロマンを感じた生徒も少なくない様子でした。二日目の夜には京都の宿に移動し、希望に応じて、能体験や座禅・法話を体験しました。

3日目は「二回目以降の京都」がテーマ。京都には大人になってから何度も行く機会があるだろうということで、今年度の旅行では、金閣寺などの王道をあえて外すコースを設定しました。具体的には、和菓子作りや嵐山散策・トロッコ体験、神護寺と保津川下り、大原での写経・抹茶体験や、比叡山、二条城と大文字山のハイキング、銀閣寺といったコースです。新幹線の時間もあり、短い時間ではありましたが、京都の奥深さの一端に触れられたようです。

宿泊を伴った旅をすると、その学年の特徴がよく分かるものです。
たとえば、今年度の中3について言えば、学年の横のつながりが比較的強く、自分たちの力で何かを創り上げようとする気運が強いことが挙げられます。旅行委員会でも、その発足時から、教員に頼ることのない、自分たちだけで創り上げる旅行を目標にしてきました。旅行のテーマやコースを決めてゆく過程では、時に力不足を感じたり意見が対立したりすることもありましたが、そうしたなかで学年旅行を創り上げるには何が求められるかを学びました。こうして学んだことは、今後の旅行だけでなく、運動会や文化祭、生徒会活動や部活動など、他のさまざまな場面でも活かされていくはずです。
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